美空ひばり伝説の「悪役」にされた笠置シヅ子「ブギ禁止令」の真相とは?
ひばりは灰田勝彦主演の「ラブ・パレード」で笠置の新曲「ヘイヘイブギー」を歌う許可を求めたが(当時から歌手の持ち歌制度はあり、歌手が興行で自分の持ち歌以外の曲を歌う場合は著作権者の許可が必要だった)、笠置と服部側はひばり側に「ヘイヘイブギー」ではなく「東京ブギウギ」を許可した。 笠置がなかなか許可しなかったという話がさまざまに伝えられているが、事実としては、ひばりは曲目を変更させられただけで「ブギを歌うな」と言われたわけではない。 ● ブギの女王は美空ひばり伝説を いろどる“悪役”と化した 「ヘイヘイブギー」は前年に公開された大映映画『舞台は廻る』の挿入歌で、レコードも発売されてまだ日が浅かったことを考慮すると、変更させられたことがとくに理不尽とも思われない。 またこの時期、笠置はすでに黄金期のベテラン歌手で、舞台から舞台、映画の撮影、マスコミのインタビュー、歌のレッスン・吹き込みなど、次から次と超多忙なスケジュールだった。前年に横浜国際劇場の楽屋で紹介されて写真を一緒に撮った無名の少女を、笠置がすぐに思い出すほど覚えていたかどうかも疑わしい。 当時の美空ひばりはまだデビュー前で、その才能の有無は別として、まだまだそういう存在だったことを頭に入れておく必要があるだろう。
出演直前に「東京ブギウギ」に変更させられたひばりは、それを練習していなかったので出だしを失敗し、楽屋で悔し涙を流したというエピソードがひばりの評伝やテレビドラマで伝えられ、笠置は美空ひばり伝説の“悪役”として、以後長く登場することになる。 笠置がひばりの失敗を予想してわざと直前に曲目を変更したように、長く伝えられた。まるで、歴史が“勝者”によって書かれることと似ている。 日劇出演後にひばりはコロムビアで「河童ブギウギ」(作詞・藤浦洸、作曲・浅井拳嘩)を吹き込み、これがデビュー曲となった。実はこのとき、コロムビアでは異論があり、笠置の「ヘイヘイブギー」をひばりに歌わせて“本家”と“モノマネ”の競作にしようという案が持ち上がったが、笠置が反対して結局ひばりのデビュー曲は「河童ブギウギ」になったというエピソードがある。 発案が会社かひばりの側かは不明だが、笠置の側にその申し入れがあり、笠置がそれには断固反対した。 ひばりとの競作を笠置が反対したことは、結果的にひばりのためにもよかった。「河童ブギウギ」はヒットしなかったが、その後ひばりは笠置のモノマネではない自分の持ち歌として「悲しき口笛」を吹き込み、これが大ヒットしたのであり、1949年秋、コロムビア専属歌手となって12歳の戦後派スターが誕生した。もはやひばりは“横浜のベビー笠置”ではなくなったのだ。