美空ひばり伝説の「悪役」にされた笠置シヅ子「ブギ禁止令」の真相とは?
笠置は前年に娘を出産したばかりだが、すでにスターの“オーラ”がたっぷりで、この時期が人生で最も美しい時期だったのではないかと思わせるほど魅力的だ。ひばりは髪にリボン、顔にはお化粧を施し、イヤリングやネックレス、コサージュ、ブレスレットをつけ、フリルのついたワンピースを着るなど精いっぱいおしゃれをしていて(ちょっと頑張りすぎ?)、楽しそうだ。 だが、そんな一瞬を捉えたこの1枚の写真(撮影者不明)はこれ以外、今日まで保存されている新聞雑誌その他、膨大な美空ひばりや芸能関係資料のどこにも見当たらず、ほとんど幻のスナップとなったのである。 詳しい時期は不明だが(1950年以降と思われる)、笠置は服部良一に、「センセー、子どもと動物には勝てまへんなあ」と語ったと、のちに服部は自伝で書いている。間接的ではあるが、笠置がひばりについて語ったと思われる言葉は唯一、これだけである。 ● 「私のブギを歌うな」という 笠置からのクレームの真相 世紀の大スターが誕生するとき、必ずといっていいほど伝説が生まれる。伝説は多くの場合、長い時間の中で虚実が入り混じることもあるから要注意だ。
ひばり伝説の1つに、笠置シヅ子がひばりのデビュー時に「自分のブギを歌うな」とクレームをつけたというものがある。有名なエピソードだ。1948年の初対面のとき2人はたしかにいい出会いだった。そのとき笠置は、ひばりが自分のモノマネでブギを歌っていたことを温かく見ていたはずだ。 それが後になって天才少女に嫉妬したという単純な話なのか、それとも他に何か事情があったのか……、いろんな疑問が湧いてくる。 60年も前の話だが、この伝説の何が虚で何が実か、どんな状況の中でどういう理由だったのか、もっと詳しく調べてみよう。正確かどうかは別として、そのエピソードを喧伝する多くの資料はひばり側にあった(笠置の資料にはひばりに関する談話や記述などの記録がほとんどない)。 笠置側がひばり側に出した“クレーム”は2回ある(笠置側から考えると“申し入れ”だが)。最初は2人が出会った3カ月後の翌1949年1月で、ひばりが念願の日劇に出演することになったときのこと。日劇は、戦後に建てられた横浜国際劇場とは数段格上の大劇場である。