「ココリコ」田中直樹、苦労時代を支えてくれた2人の先輩
お笑いコンビ「ココリコ」の田中直樹さん(45)。俳優としても活動し、現在公開中の映画「だCOLOR? THE脱獄サバイバル」にも主演しています。さまざまなフィールドで存在感を示す田中さんですが、その裏には、先輩2人の導きがあったと言います。 <私の恩人>感動秘話!加藤浩次 俺のすべてはコイツから始まっている
恩人ですよね。僕は本当にたくさんの方々にお世話になっているんですけど、あえて挙げさせていただくとすると、このお二人かなと。山崎邦正さん、今の月亭方正さん。そして、「極楽とんぼ」の加藤浩次さんです。 僕らは、相方(遠藤章造)と一緒にお笑いがやりたくて大阪から東京に出てきたんですけど、何のツテもないし、どこにも所属もしていない。東京には来たけど、どうしたらいいんだろう。どうやったらお笑いって始められるんだろうというところからのスタートだったんです。 そんな中、たまたま2人でテレビを見ていたら、芸人さんがやっている番組があって、その最後に「〇月△日、お笑いライブやりますので、出たい人、オーディション受けにきてね!!」みたいな告知をしてたんです。それが東京の吉本興業のライブやったんです。そして、受けに行ったら、ライブのMCをしていたのが方正さんがかつて組んでらっしゃったコンビ「TEAM-0(チームゼロ)」さんやったんです。そこでありがたいことにオーディションに受かりまして、MCの方とも話すきっかけができた。それが方正さんとの出会いです。もう24年前のことになります。
当時は、東京の吉本って雑居ビルの一角みたいなところにありましたし、そもそも、東京吉本所属の芸人さんの数も少なくて。なかなか僕ら以降、後輩も出てこないという状況もあって本当に可愛がってくださいました。お仕事で会うのは、当時、月1回やっていた「吉本バッタモンクラブ」というライブだけだったんですけど、プライベートでは、多い時は週4日は会ってました(笑)。 僕らは月1回のそのライブ以外には仕事がなくて、あとはアルバイトの日々。方正さんは他のお仕事もされてましたけど、まだお金があるという状況では正直なかったと思います。それでも、当たり前のように会えば必ずご飯を食べさせてもらいましたし、今になればなるほど、それはホンマにありがたいことだなと感じています。 ただ、ある日、本当にお金がなくて。でも、お腹は空いている。そこで方正さんが最後の手段として、自分の家にあったファミコンのカセットを売りに行こうと。ただ、5、6個売っても、よっぽどカセットのラインナップが悪かったのか、110円とかにしかならなかったんです。で、近くで売ってたコロッケが80円やったんです。じゃ、コロッケ1つは買えるな、と。 コロッケを買って半分ずつ食べようとなったんですけど、コロッケをパカッと割った時にちょうど真ん中からではなく、6・4くらいの割れ方をしたんです。そうしたら、何も言わず、サッと6の方を僕にくれはったんです。「しゃあないし、お前に6の方やるわ」みたいな照れ隠しの言葉もなく。本当に、さも当たり前という感じで、瞬時に6をくれたんです。割ってから渡すまで、時間にしたら1秒もないくらいのことだったと思いますけど、そこに方正さんの優しさが見えた気がします。 あと、当時は方正さんは世田谷区の経堂あたりに住んでらっしゃって、僕は杉並区の久我山に住んでたんです。僕は霊感が強いわけでもないんですけど、ある晩、寝てたら、金縛りにあいまして。なんとか目を開けたら、子どもが僕の体を押しているように見えたんですね。 これはアカンと思って、めちゃくちゃ怖くなって。動けるようになっても、まだお化けがいるような気配があったんですけど、別の部屋で寝るにも六畳一間のアパートですし、怖くなって、方正さんのところに電話をして「今から泊めてください」と言ったんです。ただ、もう夜中で電車がない。歩いたら1時間はかかる距離だったんですけど、とにかく方正さんのところに行こうと思って、夜道を恐々歩いて行ったんです。 なんとか方正さんのところまでたどり着いたら、方正さんが真顔で「玄関に上がる前に、ちゃんと塩で清めるから。ちょっと待っとけ」と言って、台所に塩を取りに行かれたんです。さすが頼りになると思って待っていたら、塩がないと。なので、頭からうま味調味料をかけられました(笑)。頭と肩にパッパッとかけて、方正さんが「よしっ!!」って言ったのを覚えています。何をもって「よしっ!!」だったのか、僕なんかには分からないですけど、方正さんの中では「よしっ!!」だったんですよね(笑)。