「現実はフィクションを超えてしまった」のか…アメリカ映画が大統領選を描けなくなっている、深刻な現実
観客は「啓蒙」ではなく「刺激」を求めている
そして現在。軸足が民主党寄り、あるいはアンチ・トランプであるという点において、ディティールの描写においてはリアリズムをベースにしているとはいえ『シビル・ウォー アメリカ最後の日』もそれらの作品の系譜として位置付けることも可能だろう。 また、近年のテレビシリーズで際立った作品としては、昨年のエミー賞や今年のゴールデングローブ賞を総なめにしたテレビシリーズ『サクセッション』(U-NEXTでの邦題は『メディア王 ~華麗なる一族~』)にも触れておきたい。FOXグループをモデルにメディアコングロマリットの創業者一族の相続問題を描いた同作では、2020年大統領選の開票後に起きたドナルド・トランプを支持する勢力によるメディア操作をモチーフとするスリリングな展開が、シリーズ全体のクライマックスとして重要な役割を果たしていた。 いずれにせよ、近年のアメリカの映画やテレビシリーズで政治的題材を扱って高い人気や評価を集めた作品に共通しているのは、製作者たちの本音は別として、少なくとも作劇においては党派性を前面に出していないことだ。ドナルド・トランプはアンチ・エリート主義を掲げ、それによって大衆からの広い支持を集めてきたわけだが、ハリウッドの業界人はそこで典型的な「エリートたちの勢力」の筆頭と見なされている。映画やテレビシリーズが広範な人気を得るためにはそうした人々も作品に巻き込む必要があるし、もしまだ「フィクションの力によって現実を変えること」を少しでも信じているならばなおさら、リベラル同士がお互いうなずき合うような作品ではなく、その外側に働きかけることに意義を見出しているのかもしれない。 さらに、ミもフタもないことを言ってしまうなら、映画は本質的に「見せ物」であり、観客はそこに啓蒙ではなく刺激を求めているという原則に、2010年代後半の「アイデンティティ・ポリティックスの時代」を経てハリウッドは立ち返ったという見方も可能だろう。人々が自分の時間やお金を費やしてまで(TikTokやYouTubeのショート動画ではなく)長いフィクション作品で見たいのは、それが悪夢的な未来像だとしても、密かに抱えている願望だとしても、ドナルド・トランプ的なるものが勝利した後の世界なのだということが、ここ数年のヒット作の傾向からははっきりと伺える。もし今回の大統領選でドナルド・トランプが8年ぶりに勝利した時、そこにどのような変化が起こるのかはまだわからないが。
宇野 維正(映画・音楽ジャーナリスト)