映画『リンダはチキンがたべたい!』監督インタビュー
──フランス、ムーランダンテのアーティストインレジデンスに二人で参加されたことで、本作の原案ができたそうですが、これはいきなり生まれたものだったのでしょうか。それとも、以前から構想していたものだったんですか? キアラ:レジデンスは、援助をもらったアーティストがそこで活動することを目的としているので、行くとなんらかの仕事をしなきゃいけないんですね。この脚本は、たまたまレジデンスに参加した際に何日間かかけて書きましたが、そもそも語りたかった話ではあったと思うので、パリの住んでる近所のカフェに毎日二人で行って、自らを缶詰状態にして書いた可能性も全然あると思います。 ──声の録音方法は実写と全く同じ方法で、録音技師はレオス・カラックスの『アネット』(21)に参加しているエルワン・ケルザネがつとめるなど、実写と変わらないスタッフが制作しています。作画をする前に、実写と同じように音を録音した理由とは? キアラ:ただ単にもう絵ができているものに対して声を吹き込むのではなく、本当に役を演じてもらうためには、あらかじめ絵がないほうがいいと思ったので、先に録音をしたんです。自分は実写の文化から来ているので、アニメーションができて、その後に音をつけるというやり方にすごく違和感があって。キャラクターたちに生き生きとした命を宿したいとすれば、一番先に音を撮るのが当然だろうと考えました。そして、自分たちにとって、カメラは全く必要がなかったんです。カメラで撮ってしまうと、それはロトスコープ(実写映像をもとにアニメを作成するVFXの技法)のアニメーションになる。つまり、その次に作業をするアニメーターたちにとっての制約になってしまう。それは絶対にしたくなかった。とにかくありとあらゆるリミテーションを取り除いていきたいと思い、カメラは一切置かず、動画は撮らないと決めました。
──カメラがないことで、演者がもっと自由になるという効果もあったのでしょうか? キアラ:音だけのほうが演じやすいんじゃないかなと思ったんですよね。実際に、実写を撮っているのと同じ現場だけれど、カメラはないという状況で、俳優たちに演じてもらったときに、みんなの演技がとてもよくて。きっと、カメラに映ったときの自分のイメージを気にしなくていいから、より自由になれるということなんだと思います。 ──そもそも、アニメーターがモデルシートに縛られる必要がないという状況はよくあることなのでしょうか。日本の場合、やはり、アニメーションの現場は、モデルシートを忠実に再現している印象がありますが、フランスではどうなのでしょう。 セバスチャン:フランスでも、普通のやり方ではありません。実はその部分がアニメーション業界で働いている私たちが最も違和感があるところで。どうしてモデルシートに忠実でなくてはいけないのかが、ずっとわからなかったんですね。今回は、そうやってつくりあげられた立派なお城のような秩序をいかにして壊せるかというのが挑戦でした。アニメーターを起用するにあたっても、履歴書やプロフィールは一切見ず、私たちが目指すアニメーションがつくれるかどうかのテストをし、その結果だけを見て決めました。年齢が上の方もいれば、すごく若い人もいましたが、キャリアがある年配の人たちは1週間で辞めてしまった。普段のやり方とあまりに違いすぎて、できないということで。だから、最終的に残ったほとんどのスタッフは、若いアニメーターたちでした。 キアラ:アニメーターたちには「実写映画のように自由につくっていいよ」と伝えました。実写の映画は、同じ俳優でもシーンによって、作品によって全然顔が違う。それは当たり前のことなのに、アニメーションとなると、どうしても同じ顔を描かせるというのは、やっぱりおかしいので。結果、みんな楽しんでやってくれたと思います。 セバスチャン:寄りのカットにはディテールを描き、引きのカットは抽象的に描くことで、作品の中でバリエーションを持たせるというルールは最初から決めていたのですが、何かを揃えるとか、調和をとるといったことは全く必要ではありませんでした。