【追悼】西田敏行さん 多彩な演技で魅了 歌手も…原点は父の“映画好き” 人々を楽しませ続けた役者人生
俳優・西田敏行さんが2024年10月17日午後0時半頃、東京都内の自宅で亡くなったことが分かりました。76歳でした。 【写真12枚】追悼 西田敏行さん 原点は父の“映画好き” 人々を楽しませ続けた役者人生 写真で見る 人懐っこい笑顔と、底抜けに明るいキャラクター。人情味あふれる役柄から任侠映画の強面役、そして、歌手までも。その個性的な演技で長く親しまれた西田さん。 多彩な才能を発揮し人々を楽しませる一方で、襲い来る病との闘いの日々…。それでも、最後まで俳優人生を全うしました。
「釣りバカ」「アウトレイジ」…多彩な役で魅了 歌手としても大活躍
西田さんは1947年福島県郡山市生まれ。明治大学進学後に中退し、1970年に劇団青年座に入団しました。 数々のドラマに出演し徐々に俳優として頭角を現すと、1978年30歳のときには「ベストドレッサー賞」を受賞。 ――(受賞に関して)奥さんは? 西田敏行さん(当時30歳): もう女房のリアクションが一番きつかったですね。まったくもう…あ然として笑い転げるだけなんでね。たまにはなんか…違った面も見ていただこうかと思いますけど。 さらに「違った面も見せたい」と、新たな扉を開いたのは歌手デビュー。 西田敏行さん(当時33歳): 俳優さんでしょうか?と言わないでください。歌手です! 主演ドラマの主題歌で1981年に大ヒットした「もしもピアノが弾けたなら」は累計51万7千枚を売り上げ、紅白歌合戦にも出場しました。 西田敏行さんを人気俳優に押し上げた作品の一つが、主演を務めた映画「釣りバカ日誌」です。西田さん演じる、釣りが大好きな建設会社の平社員・ハマちゃんが三國連太郎さん演じる社長のスーさんと繰り広げる珍道中。 2013年に亡くなった三國さんとの絶妙な掛け合いが人気となり、その後、22年間で全22作品を公開するなど国民的な映画となりました。 押しも押されもせぬ、人気俳優となった西田さんですが…。 西田敏行さん(当時49歳): 俳優になりたかったっていうのは、僕にとっての“虹”だったかもしれません。その部分の一色はつかんだのかな。でも俳優になったと…なってからの“虹”というのはなかなかつかめないですね。 常に俳優として、次のステップを模索していました。 フジテレビでは、社会現象にもなった大ヒットドラマ「白い巨塔」に出演。 北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」では、巨大ヤクザ組織の幹部役に挑戦しました。 西田敏行さん(当時64歳): 関西花菱会若頭…ハマちゃんです。 (会場笑い) これまでの ユニークなキャラクターから一変、すごみのある演技をみせました。 さらに、“欠かせない俳優”として、数多くの三谷幸喜監督の作品に出演。 俳優としてだけではなく、様々なバラエティー番組でも活躍し、多方面の仕事に挑んだ思いを、自身の著書(「役者人生、泣き笑い」西田敏行著/河出書房新社)に、こう綴っていました。 西田さんの著書「役者人生、泣き笑い」より: とにかく多くの人を喜ばすこと、この一語につきますね。 どうしたらみんなに笑ってもらえるか、面白がってもらえるか。 歌にしてもいわゆる“プロ歌手”とは違う。あくまで“役者”であるというスタンスは崩しませんし、崩せないんです。