【追悼】西田敏行さん 多彩な演技で魅了 歌手も…原点は父の“映画好き” 人々を楽しませ続けた役者人生
国民的俳優の原点は俳優を目指していた父
西田さんが国民的な俳優となった原点。そこには…同じ夢を追いかけた父親との日々がありました。 西田敏行さん(当時64歳): 私の父は無類の映画好きでありまして、シベリアの抑留から帰ってきて福島の郡山で私を育ててくれたんですが、仕事が終わってむさぼるように映画を…映画館に連れてってくれて映画を見まくりました。 特に日活の映画館を出ると、完全に石原裕次郎になりきっている自分がいて、太陽も出てないのに太陽をこう…まぶしそうに見ている自分があって。いつかあのスクリーンの映る方に行きたいなという思いが…。 俳優を目指していたという父親。夢は叶わずも…共に映画を観るうちに、息子の西田さんは同じ夢を抱いたのです。 その父も1999年に他界します。生きる指針をくれた父親に対し、西田さんは最後にこんな言葉を贈りました。 西田敏行さん(当時51歳): ただただ、ありがとうございました。そしてご苦労さまでしたということで、いずれあっちでゆっくり会おうなということでしょうかね。 やっぱり生きざまでしょうかね。ちゃんと俺の背中見てろよみたいな感じの生き方をしてくれて、僕もその背中を見られたかなって…。 ――おくる言葉は? ありがとうですね。よくぞ私と出会ってくれましたと…。
「楽しませる」姿の裏で…病との闘い
多方面で活躍し、人々から愛された西田さん。しかしその陰では、病との闘いがありました。 2003年3月、当時55歳だった西田さんは、急性心筋梗塞で倒れ緊急入院。それでも約1カ月後には、カメラの前に元気な姿を見せました。 その後、この年の9月に上映された映画「釣りバカ日誌14」の撮影から現場に復帰し、俳優として完全復活。 西田敏行さん(当時55歳): (撮影)頑張ったんですよ~。おかげで心筋梗塞になりました(笑)。 よくぞ来てくれた~ありがとう~ どんなときでも人を楽しませていた西田さん。その役者人生について、著書に綴っていたのは…。 西田敏行さん著書「役者人生、泣き笑い」より: 役者には定年がないので、生き続けている限り役者稼業を続けて行くつもりです。 2024年10月8日には、映画の制作発表にも出席したばかり。最後まで役者として生き抜いた人生でした。 西田敏行さん(当時73歳): やっぱり生ききることだと思うんですね。自分に与えられたことを一生懸命やる!やっていく! 夜寝る前には必ず一回は、明日死んでいたらどうしようかなみたいなことを考えます。そんな人生…なんか幸せだなぁと思います。 (『めざまし8』 2024年10月18日放送より)
めざまし8