警察庁長官銃撃犯を追った“極左ハンター”未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」の10日後に轟いた4発の銃声
長官銃撃事件捜査へ
栢木の申告を受けると岩田は、「栢木くん、君は調査第五担当でやってもらう。長官事件は発生初日から調査第六担当がやっているが、調査第五担当にも今日から入ってもらうことになった。着任後さっそくだが、君に今日から行ってもらう。後は岡田管理官の指示を受けるように」とそれだけ言った。 栢木は5分前に同僚に言われた人事のその通りを課長に言い渡され、茫然自失で部屋を出た。 「調五」(ちょうご)。 新しい部署に着任してすぐ大事件の特別捜査本部詰めだ。大変な任務になる、という思いしかなかった。 「調査第五担当」、通称「ちょうご」と呼ばれている。デスクは新宿警察署の12階にある。管理官1名、係長2名以下課員40名の部署である。 通常であれば中核派の非公然アジトなどの発見や、当時、長期未解決事件となっていた渋谷暴動事件の逃亡犯、大坂正明や東アジア半日武装戦線の桐島聡の家族などと定期的に接触し、連絡がなかったかなどをフォローアップすることを担当としていた。 長官が撃たれたという未曽有の大事件発生により、着任初日から栢木以下20名が特捜本部のある南千住署に派遣されることになった。 すぐに「調五」の指揮官、岡田管理官の車で桜田門を出発し南千住署に向かう。緊張から車内では終始無言だった。 南千住署に着くと、5階講堂に設置された特別捜査本部に直行。特捜本部は人でごったがえしていたが、オールバックの紳士が寄ってきた。 「君が栢木くんか。今日から宜しく頼みます」と挨拶してきたのは南千住署の佐藤警備課長だ。 佐藤は、自分の膝元で大事件が発生したため、内心憔悴していたであろうが、そんな様子を微塵も見せず気丈に振る舞っている。 佐藤は長官宅周辺で最近目撃された不審者情報を特捜本部に伝えるとともに、初日から始まった動態捜査にも加わった。 事件前日には現場周辺でオウム真理教の信者が「警察国家」との題名のビラを配って逮捕される事案が発生している。 佐藤は不審者情報の整理など捜査に携わるだけでなく本部から派遣されてきた特捜本部員の食事や宿泊の世話など、ロジ全般をもこなしていた。特捜本部員は困ったことがあれば佐藤に何でも相談していたので、本部員にとって良き兄貴分的な存在だった。 佐藤の挨拶を受け、岡田管理官はそこらにいた捜査員を集めて栢木を簡単に紹介した後、「栢木くんには地取り班に入ってもらう」と、初めて今後の任務について明かした。 【秘録】警察庁長官銃撃事件4に続く 【編集部注】 1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。 警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。 東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。 最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。
上法玄