京の街はRPG!伝えよう攻略ルール:オーバーツーリズムを超える秘策とは
「参加者」として迎え入れるために
京都の観光資源とは街の生きた営みであり、そこに京都の魅力も難しさもある──そのことを理解すれば、この街の観光をめぐる諸問題の解決への糸口も見えてくるのではないだろうか。生きている活動の最中に関係のない人がやってくるわけだから摩擦も起こるし、逆に観光客に言わせると「京都は排他的だ」となる。だとすれば、この街では、観光客は「過去」を愛でる見物人ではなく、むしろ街の「現在」への参加者になるべきなのだ。 ただし、京都の敷居は高く、参加者になるのは容易ではない。千年のあいだ「都」であっただけあって、よそさんには理解しがたいルールが多数存在する。 しかし、観光客におかれてはそこを楽しんでほしい。
京の街はRPG!
筆者は以前、著書『京都のおねだん』のなかで、京都の街をロールプレーイングゲーム(RPG)の舞台に例えた。謎のルールを覚えてゲームを進めて経験値をあげると、次のレベルに進める。ボスキャラに出会うとワープして、新しい世界が見られる。 例えば、くだんの舞妓さんを追いかけ回す外国人にしても、舞妓さんがおしろいとお着物で歩いている時は、お花をつけてくれた(お座敷に呼んでくれた)お客さんのところに向かっているわけで、他の人が追いかけ回す権利はない。そんなルールを知っていれば、地元民とのトラブルは減る。 さらに、ルールに基づき安価に舞妓さんと楽しめる方法が他にあることも分かる。今なら、夏の上七軒のビアガーデンはどうだろう。北野天満宮にほど近い上七軒歌舞練場の見事なお庭で、浴衣もあでやかな芸妓さん舞妓さんが出そろう中、ビールと酒菜のセットが2500円で楽しめる。そこで経験値を積んでボスキャラ(この場合はお茶屋のおかみさん?)と知り合えれば、もっと楽しい次のステージが待っている。 この地で生活している人とルールを尊重した上で、街の営みに参加する気持ちがあれば、住民を悩ますトラブルの多くは解消し、京都を安価に楽しめるのだ。 地元民もこれまでの考えを改める時が来ている。せっかく来てくれているお客さんに向かって“観光公害”呼ばわりするのはやめようではないか。コロナ禍で観光客がいなくなった時、京都は住む人だけではなく、この街を愛でる人がいて完成すると思い知ったはずだ。観光客にルール順守を求めるだけでなく、地元民は京都というゲームのクリエーターとして、この街を楽しむ新しいゲーマーに接するつもりで観光客を迎え入れたい。 ついでに言うと、「いかにして観光客にお金を落としてもらうか」についての議論ばかり目に付く風潮には、筆者は疑問を感じている。先日、八坂神社の宮司が観光協会の理事を辞任する意向を表明した。祇園祭の山鉾(やまほこ)巡行の「プレミアム観覧席」で酒類を提供することへの抗議だった(後に酒類提供見直しを受けて辞任意向を撤回)。祇園祭は疫病退散を祈り死者の魂を鎮める祭礼だ。生活に根ざした祈りが時代を超えて受け継がれているところが京都の魅力であるはずだ。山鉾巡行は営利目的のパレードではないし、あからさまに「取れるところから取ろう」という態度は京都にはふさわしくない。