シティ・ポップの次なるブームを「杏里」が牽引 竹内まりややユーミンを抑えた“世界でいちばんの人気曲”は、まさかの「シングルB面」だった!
・『Heaven Beach』(’82):ブレイク前の角松敏生や小林武史が楽曲を制作。編曲は瀬尾一三が担当。
・『Bi・Ki・Ni』(’83):角松敏生と小林武史が、それぞれA面、B面により多くの楽曲で参加。
・『Timely!!』(’83):シングル「CAT'S EYE」の新録や「悲しみがとまらない」を収録。全10曲のプロデュースと、うち9曲の作詞・作曲・編曲を角松敏生が担当。
・『COOOL』(’84):全11曲の編曲と5曲の作詞・作曲を角松敏生が担当。杏里の自作曲も3曲に増加。 上記のように、4作ともシンガーソングライターの角松敏生が参加しており、実際、杏里のSpotify人気曲TOP20のうち15曲も、角松が作詞、作曲、編曲のいずれかを手がけている。シティ・ポップのソングライターとしては、その第一人者として挙がるのは林哲司だろう。杏里にも「悲しみがとまらない」など、ここでの上位3作を手がけていて見事だが、角松はそれにも増して、杏里のストリーミング・ヒットにおけるキーパーソンなのだ。確かに、角松の夏や海をイメージさせる爽やかなサウンドと杏里の陽気な歌声は相性抜群で、最強のキラキラなシティ・ポップ感を引き出している。
ヒットメーカー角松敏生「セールスよりも“杏里さんが喜ぶこと”を第一に考えて制作した」
当時、杏里の音楽制作に携わったことに関し、角松がコメントを寄せてくれた。 「杏里さんの作品を作らせていただいたことは、当時の制作手法を学んでいくうえでとても重要かつありがたいお仕事でした。同時に、杏里さんはすでに大スターでいらしたので、そんな彼女の作品に携わることには大きなプレッシャーもありました。ただ、セールスそのものよりも、“杏里さんが喜ぶこと”を第一に考えて制作した記憶があります。それが結果的に功を奏したのは幸いなことでした。またその後の音楽制作において、ある意味、自信にもつながりました」 なお、角松の特に思い入れのある3曲を尋ねたところ、『Bi・Ki・Ni』収録の「Dancin' Blue」(Spotify第23位)、『Timely!!』収録の「STAY BY ME」(第10位)、そして『COOOL』収録で、後にセルフカバー集『MEDITATION』にてリミックスされた「I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME」(第46位)が挙がった。どの曲も、後の角松作品にもよく見られる人気の曲想なので、やはり杏里との音楽制作で、彼自身にも大きな学びがあったのだろう。 こうしたストリーミングのヒットを受けて、配信元のフォーライフでは、’23年に上記4タイトルのアナログ盤を約40年ぶりに再発売したところ、4作合計で累計2万枚を売り上げた。特に『Timely!!』はオリコン週間アルバムランキングで39位に上昇し、実に39年ぶりのTOP50入り。さらに、『Heaven Beach』は週間42位をマークし、初リリースから41年目にして最高位を塗り替えることになった。他にも、’11年に高音質のリマスタリング復刻で発売されていたCDが前述の4タイトル合計で3万枚を超える追加プレスとなり、ストリーミングのヒットがパッケージのヒットにまで大きく波及している。 この4作を通して聴くと、杏里自身が20代前半の約2年間で着実に表現力を増していく様子が伝わってくる。さらに、「CAT'S EYE」の大ヒットの前後でも一貫して高品質のアルバムが制作されていたこともよく分かる。それゆえ、彼女の楽曲は時が過ぎても色あせない魅力があるのだろうし、高評価を得られたのも必然だったような気がしてならない。シティ・ポップを聴いていると、なんだかワクワクしてくるのは、単に楽曲が明るいからだけではなく、作品自体から“ベストを尽くしていれば、いつかは夢が叶う”といった野望が伝わってくるからではないか。杏里の作品に触れていると、それがいっそう強く感じられた。 次回は、この記事では取り上げなかった杏里のストリーミング人気曲や、‘24年12月に人気イラストレーターとコラボした「Remember Summer Days」の動画についても取り上げたい。 (取材・文:人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)