【追悼・中山美穂さん】美STだけに語った本音や素顔を振り返る【関係者からの思い出メッセージも】|美ST
“私は過去を否定するつもりはありません。覚悟を持って決めたことなので、これからは新しい人生を可能な限り生きてみたいと思います” ---2014年10月号
“いちばん願うのは息子の幸せです。寂しい思いをさせてしまったことは、毎日胸が痛みます。~~。ずっと変わらない愛情、一生懸命であることは変わらないということを伝え続けて行くつもりです” “「ママはパパと結婚したことを後悔してる?」「してないよ、だって」「僕がうまれたからでしょ?」そう答えるつもりが先に満面の笑顔で言われてしまいました” ---2015年6月号
“若い頃は女優の仕事に悩み、殻を破らないと新しいものを生み出せない。どうやったら自分が変われるか、引き出しを増やせるかばかり考えていましたが、今は逆で見る方やスタッフに楽しんでもらいたい、自分のことより人に対して何ができるかが最優先になりました” ---2017年7月号
“楽しいことや嬉しいことだけでなく、辛いこと、苦しいこと、悲しいこともたくさん経験しました。人生に起こった喜怒哀楽のすべてが土台になっているからこそ、今の私が存在すると実感しています” “意識して心掛けていることはハッピーでいること” ---2020年4月号
中山美穂さんと親交のあったスタッフさんからも追悼のお言葉を頂きました
写真家 下村一喜さん 数々の著名人から絶大な信頼を誇る、日本を代表するフォトグラファー。美STでも中山美穂さんの表紙を数多く撮影し、フランスでのロケや連載「nouvelle beauté」の撮影も担当。 下村さんが撮影を手掛けたフランスロケの表紙 「私、生まれ変わったらカメラマンになりたかったのよ」とパリのレストランでおっしゃったことがあった。「色々な場所に行って自分が見た風景を撮影して自由に生きてみたい」と言われた。 そして携帯から一枚の御自身が写る写真を僕に見せてくださり、その写真が自然体でとても素晴らしかったので「こんな風に僕は美穂さんを撮影出来ないな」と言ったら、少し間があり、とても嬉しそうな母性溢れる微笑みを浮かべてワインをキュッと飲み干された。僕には100、200の言葉を飲み込んだ仕草に視えた。『美人の代名詞』を生きる方でした。また美女と言う『檻』のような定義の中に住まわされた『自由な少年』の心を持つ御方でもあったのだと思います。(下村さん)