”心を燃やす”哲学者・苫野一徳さんが「愛の本質」を20年考え続けるきっかけになった「人類愛の啓示」とは何だったのか
現代新書創刊60周年記念インタビューシリーズ「私と現代新書」5回目は、『教育の力』、『愛』(いずれも現代新書)の著者である哲学者・苫野一徳さん(熊本大学准教授)に、自著と、苫野さんにとって特別な現代新書についてお話を伺います。 【つづき】苫野一徳さんがいま日本全国に引き起こしている「公教育の構造転換」とは 3回に分けてお届けする1回目では、『愛』についてお聞きします。苫野さんが『愛』を書いたきっかけは、大学時代に「人類愛」の啓示を受けた体験でした。その日から『愛』を書くまでの20年間、「愛の本質」について考えた日々とはどんなものだったのか。そして、苫野さんが「人類愛」と信じたものは本当は何だったのか。(以下、敬称略)【#1/全3回】
大学時代のある日、「人類愛」が見えた
――ご著書『愛』(2019年刊行)は、「本質観取」(概念の本質を、体験の内省から共通了解可能な仕方で言語化していく方法〈『愛』p55参照〉)という現象学の方法を用いて「愛」の本質を解明する本です。「性愛」、「恋愛」、そして苫野さんの個人的な2つの「愛」の体験の「本質観取」によって「愛」の本質を解明し、最後に、本当の「愛」はいかにして可能かを探ります。 本書の冒頭は、苫野さんの「愛」の体験の1つめ、「人類愛教」の「教祖」だったエピソードから始まります。「人類愛」の「教祖」だったとは? 苫野一徳(以下、苫野):高校生の時から8年ほど躁鬱病に苦しんだのですが、大学に入り、人生最大の躁状態がやってきたとき、「人類愛」の啓示を受けたのです。 ――どんな感覚だったのですか。 苫野:「人類愛」が見えたんですよね。すべての人類が、過去も、現在も、未来も、みんなつながりあって、そのつながりのどれひとつとして欠けても誰も存在しえない、という絶対的なイメージが見えたんです。もちろん、今振り返ってみれば、あれは強烈な躁状態が見せた一つの幻影だったと思うんですが。 私は人類を愛していて人類も私を愛している、これが絶対的な愛なんだ、と実感しました。これは「人類愛」と呼ぶしかないな、と思いました。 あまりに強烈なイメージだったので、トランス状態のまま「人類愛」について周りに説いて回っていたら、孤独を感じているいろいろな人たちが集まってきて、私はあたかも「人類愛」教の教祖のようになっていました。 それから長いあいだ、躁状態が終わり鬱になっても、自分は「愛」の本質を知ったと信じ続けていました。