”心を燃やす”哲学者・苫野一徳さんが「愛の本質」を20年考え続けるきっかけになった「人類愛の啓示」とは何だったのか
哲学との出会いによって「人類愛」が崩壊
――やがて、苫野さんが信じた「人類愛」は哲学との出会いによって崩壊する、と『愛』に書かれています。哲学との出会いとはどのようなものだったのですか。 苫野:鬱に陥っていたときに、哲学者・竹田青嗣の『人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想』(講談社学術文庫)という本に出会ったのです。今まで自分が絶対の真理だと思っていたものがガラガラと崩されていくかんじでした。 「それまでのわたしは、哲学の何も理解していなかった。何しろわたしは、哲学も宗教も、「人類愛」の真理を悟り、それを語るものにほかならないと考えていたのだから。 しかし哲学とは、本来、まず何をおいても自らの確信を確かめ直す営みである。自身の信念や思想を問い直し、それが真に普遍性を持ちうるものであるか吟味する。 その過程において、わたしは、「人類愛」は、じつはわたしの病的な精神が作り上げた独りよがりなヴィジョンだったのではないかという疑いを抱いた。」(『愛』「はじめに」より。p10-11) 「しかしそのこと(編集部注・苫野さんが経験した「人類愛」の啓示)を、わたしたちのいったいだれが確かめることができるのだろう?(中略)わたしに疑い得ない体験として啓示されたものであったとしても、確かめ可能な普遍性を探究する哲学の立場からすれば、一種の虚構と言うほかないものなのではないか? 哲学徒である限り、わたしは、わたしにだけ見えていたものを、絶対の真理であると強弁するわけにはいかない。哲学は、自身の信念や思想の「確かめ可能性」を絶えず吟味するものでなければならないのだ。」(同。p14) ――苫野さんが実感した「人類愛」は、哲学の立場からすると、「確かめ可能性」がない限り「虚構」だ、とされてしまったわけですね。 苫野:はい。それでも納得がいかなくて、私は哲学に抗い続け、「人類愛」を信じていました。 ちょうどそんなとき、竹田先生が、私が在学していた早稲田大学に赴任してこられたのです。それまで竹田先生の本はほぼ全て読んでいましたが、まさに『人間的自由の条件』を読んだ直後のことでしたので、これは運命かもしれないと思い、すぐ竹田先生に会いに行き、先生のもとで修業させていただくようになりました。 そこから2年くらいかけて、私の「人類愛」は崩壊していきます。 ――どのように崩壊していったのでしょう。 苫野:私が見た「人類愛」とは、自分の孤独を埋めたい欲望が見出させた幻影だった、という得心がやってくるのです。 哲学に「欲望相関性の原理」というものがあります。竹田先生の哲学の大事な原理の一つです。どういうものかというと、私たちの認識は、無色透明の絶対的な真理を写し取るように認識するわけではなくて、いつも私たちの欲望や関心に相関的に認識されている、という原理です。 私は子どもの頃から強い孤独を感じていました。「人類愛」の啓示は、その反動として、「いや、自分は孤独なんかじゃない。本当は人類に愛されているし、自分も人類を愛している」という感覚が降りてきて、恍惚状態になっていたにすぎない――哲学を深く学ぶにつれ、そう理解したのです。 それでも、私にはわからないままでした。私が恍惚となったあの「感じ」はいったい何だったのか。 ――「実感」の説明がつかないわけですね。 苫野:振り返って考えてみても、私にとって、あの「感じ」は「愛」と呼ぶしかないものだったのです。 「『愛』って何なんだ?」と、そのときから考え始めるようになりました。20代前半の頃です。その後、私は哲学者になったわけですが、「愛」というテーマはずっと私の中にあり続けました。