宮崎宣子さん(44)「日テレ退社後起業、経験不足でだまされました」|VERY
日本テレビ勤務を経て、現在は経営者、フリーアナウンサーとしても活躍中の宮崎宣子さん。41歳で再婚、42歳で母校早稲田大学の大学院生となり、昨年44歳で出産と多忙な日々を過ごしています。ご自身は30代も結婚・離婚、退職後の起業という人生を揺るがす決断を立て続けに経験。「人生でいちばんキツかった」という30代のころから今までを振り返っていただきました。 【写真あり】幸せな家族の笑顔...宮崎宣子さん
これまでの人生で一番キツかったのは、間違いなく30代!
──30代は、結婚、離婚、起業……と決断のいる出来事が目白押しだった宮崎さん。もっとも大変だった時期の心境を教えてください。 人生の目標は何なのかとモヤモヤと模索し続ける30代でした。人生を左右する出来事が次々と起きたので、これまでで一番ハードな時期だったと思います。新卒で入社した日本テレビでは「自分が望んでいた以上に、やりたい仕事はすべて実現させてもらえた」と思えたほど、あらゆる仕事を経験できました。それなのに30代に差しかかり、「40代、50代も同じ気持ちで働き続ける姿が想像できない…」と目標を見失ったような感覚に。朝の番組を担当して自律神経失調症になったり、東日本大震災があったりと、「これは次の場所に行けというサインでは?」と思うような出来事が立て続けに起きました。でも、日テレを辞めたところで何ができるのか、何がしたいのか、まったくわかっていない状態だったので、簡単には辞める踏ん切りがつかなくて。正直なところ入社するのも大変だったし、お給料にも不満はなかったですから。どうにも決断できないので、「えいやっ」と目をつむったまま飛び出すような感覚で結婚を機に退社しました。 一生懸命仕事してきたので、次は家庭のためにがんばろうと思っていた矢先、夫婦仲に暗雲が立ち込めてしまいました……。日テレ退社後は大手事務所に所属して、フリーアナウンサーとしてのお仕事を全力でこなしていたんですが、やっぱり「自分の人生の目標って、何なんだろう」という自問自答が続いていて。プライベートではその後ついに離婚することとなり、「何をやっても歯車が噛み合わない……」とどん底まで落ちたような気分でした。