「母はいい意味で、自分がいちばん大事だった」大和田美帆が明かす母・岡江久美子の存在と「はなまる」出演時の約束
母、岡江久美子さんが司会を務めた『はなまるマーケット』がスタートしたのは大和田美帆さんが中学生のとき。多忙を極めた生活のなかでも「疲れた」と言ったことはなかったと明かします。その理由は── 。(全5回中の2回) 【写真】17年半続いた「はなまる」最終回の打ち上げで母・岡江さんと一緒に ほか(全14枚)
■中学生のときに『はなまるマーケット』が始まると ── 大和田さんが中学生のときに『はなまるマーケット』がスタート。お母さんの岡江久美子さんは、毎朝お弁当作りをしてからスタジオに向かったそうですね。
大和田さん:母に番組の話が来たときに、家族の朝ご飯と、私のお弁当を作ってからスタジオに行きますと。それでも大丈夫な時間なら引き受けますと話をしたみたいですね。番組は8時半スタートだったと思いますが、毎朝5時に起きて朝ご飯とお弁当を作って、スタジオには7時くらいに着いていたのかな。本来もっと早く集合する番組も多いんでしょうけど、ギリギリまで家のことをやって出かけて行きました。 ── 番組は17年半も続く長寿番組になりましたが、当初は1年程度で考えていたそうですね。
大和田さん:あんなに続くなんてすごいですよね。裏で事件・事故、芸能スキャンダルなどハードな内容を放送していても、『はなまる』では「わかめの戻し方」とか「今日のおめざ」「はなまるカフェ」をやっていてホッとする人も多かったんだと思います。 母は好奇心旺盛だったし、番組で習ったことはその日に試すような人でした。たとえば番組で豆腐を紹介したら、その日のうちに豆腐を買ってきて夕食のおかずに出てくるとか。「はなまるレシピ」というファイルを作って、気に入ったものは何度も作り続けていましたね。ほかにも食材の冷凍方法や衣服の収納など、主婦としても学べてちょうどよかったというか。おかげで、私も便乗してご飯をおいしくいただくことができました(笑)。
──『はなまる』の現場に大和田さんが行かれたことはありますか? 大和田さん:何度かありますよ。母の姿を見るたびに「すごいな!」って尊敬しかなかったです。母はいい意味で力まないタイプでしたし繕ってないんですよ。「ちょっとこれ、塩からいかも!」って作ってくださった先生の前で言っちゃうとか、「これちょっと高すぎる!」って主婦目線で話す俳優だったので、長く使っていただいたんじゃないかな。皆さんに「どんなお母さんでしたか?」と聞かれたら「『はなまる』のままです」って言うくらい普通のお母さん。どこのスーパーが安いか比べて買ったりするような人でしたね。