「母親が何度も学校に呼び出されて」大和田美帆『天までとどけ』の撮影で母・岡江久美子から受けた衝撃の言葉
父は大和田獏さん、母は岡江久美子さんを持つ大和田美帆さん。まだ夫婦共働きがめずらしい時代。「母ともっと一緒にいたい」という気持ちが募り、反抗的な態度をとった時期があったと言います。(全5回中の1回) 【写真】「はなまるの印象とだいぶ違う!」1歳の美帆さんを抱えた若き日の岡江久美子さんなど(全14枚)
■先生に反抗的な態度をとったことも ── 子どものころはどんな子どもでしたか? 大和田さん:明るくて活発でふざけるのが大好き。クラスでもムードメーカーだったと思います。でも、小学生のころはあまりいい思い出がないんですよ。私が通っていた小学校は当時、母親が働いている人がほとんどいなかったんです。さらに、私の母親は夜から仕事に行くこともありましたが、周りの同級生の家ではそうじゃないと知ってしまった。「美帆ちゃんのお家、お母さん忙しいからね。かわいそう」って言われると、あ、私、かわいそうなんだ…って思ってしまったというか。
── ドラマの撮影で2、3週間家を開けることもあったそうですね。 大和田さん:母も、遠方の撮影でも時間を見つけてこまめに家に帰ってくるとか、私を寂しくさせないように最大限努力してくれたことはわかるんですよ、今なら。でも私はひとりっ子で自分の気持ちを共有できる相手もいなかったし、やっぱり母ともっといたい。そんな吹き溜まりのような気持ちが募ってしまって、友だちに意地悪してみたり、先生に反抗的な態度をとってみたり、今思えば私なりの寂しさを訴えていたんだと思います。小学校低学年のころは特に荒れていて、母は学校から何度も呼び出しをされていましたね…。
── 夏休みになると『天までとどけ』の撮影もしていたそうですね。 大和田さん:私が小学1年生のころに撮影が始まったのかな。撮影が始まると母はずっと現場に行っていたので、私はその間、インターナショナルスクールのサマーキャンプや、泊まりがけの自然キャンプに行くとか。私が家で寂しい思いをするよりはと考えてくれたんだと思います。 3、4年生になると『天まで届け』の撮影も何度か観に行くようになりましたが、初めて現場に行ったときは少し衝撃でした…。13人の子役たちが私のお母さんのことを「お母さん!」と呼んでいる姿を見てびっくり!私の中で何かが切れてしまって奥に引っ込んじゃいました。母も察してくれたのか、少しずつ輪に入れるように配慮してくれて、私もみんなと次第に仲良くなってきたのかな。彼らも仕事でここにきてるんだとわかってから穏やかになりました。