7.12大阪で再戦決定。「これが最後になるか」。2つのネガティブ要素を抱えた村田諒太の勝算は?
ロンドン五輪のミドル級金メダリストで、前WBAミドル級王者で現在3位の村田諒太(33、帝拳)が7月12日、大阪のエディオンアリーナ大阪第一競技場で王座を奪われた同級王者のロブ・ブラント(28、米国)と再戦することが25日、都内のホテルで両選手が出席して発表された。村田は、昨年10月に米国ラスベガスでブラントの挑戦を受けて判定で完敗。今回は9か月ぶりの再起戦で即再戦という異例の世界戦となった。村田は「これが最後になるか、もっと見たいと言ってもらえれるかジャッジメントされる試合になる」と重大な決意をもってベルトに挑むことを明らかにした。9か月のブランク、前回完敗した内容など、村田にネガティブな要素は多いが勝算はあるという。33歳になったミドル級のスターが人生最大の決戦リングに向かう。
「ブラントをぶっ倒す」
恒例の写真撮影。村田の様子がいつもと違っていた。わざわざ会見のために来日したブラントを横にしてほぼ笑わない。戦闘オーラをプンプンだして殺気に満ちた顔をしていたのである。白い歯をずっと見せていた王者とは対照的だ 「難しい表現になるけど感情的になっている。会いたいとも思っていなかったし、リングで殴り合う以外に彼と何かをしたいとも思わない。思いきしぶん殴ってやりたい」 あなたの未来を潰しにくる相手? 「一度負けている。それは屈辱的な経験だった。それを味合わせてくれた相手に平常心でいられるわけはない。複雑な感情がある」 昨年10月に「村田」の名前を本場米国のマーケットに売り込むために乗り込んだラスベガスで王座から陥落した。ブラントに足を使われ、手数で圧倒され、自慢の強固なブロックもぶち割られて、一発逆転の“伝家の宝刀”右ストレートも不発に終わった。終盤は、もうプライドだけでやっと立っているような試合だった。 村田曰く「完全に内容も負けた試合」である。 2度目の防衛成功を見込んで元統一王者のゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との東京ドームでのビッグマッチが準備されていたが、すべてが無になった。 一度は引退を決意した。 だが「将来、人生を振り返ったときに、あの試合が最後でいいのかと問いかけ、それはないな。恥ずかしい」との思いで再起を決める。 それでも強豪がひしめくミドル級戦線において再起戦が、即、タイトル戦の再戦になるなどとは村田も夢にも思っていなかった。本田明彦会長のプロモート力とブラントが村田をプロモートしているトップランク社と契約したことも手伝って実現にこぎつけた。 村田にとって世界戦での再戦は、アッサン・エンダム戦に続くマッチメイクだが、あの時の再戦とは、かなり事情が違う。判定が物議を醸し、ジャッジがサスペンテッド処分を受け、WBAが再戦指令を出すほどの「勝っていた試合を負けにされた」後の再戦と、完敗の後の再戦では、そもそも心理面が違ってくる。 だが、村田は、今回の再戦のほうが「楽」だという。 「気持ちをこんなに作りやすい試合はない。エンダム戦は勝ったか、負けたか、わかんないような試合で、もっと圧倒しないといけないと、自分を見失うこともあった。でも、今回は、あんなパフォーマンスしかできなかったし修正点もハッキリしていて前へ進むだけ。屈辱を晴らす強い気持ちを持っている。気持ちは楽」 だから「ぶっ倒す」の感情がストレートに湧いて来る。 奈良で過ごした中学時代は、髪の毛を茶色に染め、先輩の番長を半殺しにしていた。名門、南京都高(現京都廣学館)のボクシング部では、故・武元前川先生の薫陶を受け、その先輩後輩たちはナイスガイばかりだが、“ナンキン”と呼ばれ、周辺の高校に怖がられた荒くれモノの集まりだった。ファイター・村田の原点は、そこ。「ぶっ倒す」は、原点回帰である。 「そうですね。ふざけんな。この野郎!ですよ。プロに来て初めての気持ちかな」