増田惠子が語る“愛猫”そして“家族”との感動エピソード「ペットロスになった私を、主人が救ってくれました」
――増田さんのブログを拝見しました。ミルキーちゃんの闘病を見守り続けるのは、とてもつらかったですよね。 「皆さんそうだと思いますが、猫ちゃんは家族なのでつらかったです。オレンジ色の嘔吐物がたくさん出て、お家でも注射をし、見守る時間が半年くらいありました。夜中に大量に吐くので、吐いたらすぐに掃除をして、最後は本当につらくて、自分も体を壊してしまうのではないかと思うほど。 亡くなる前日は、“また明日の朝会おうね”とベッドに入りましたが、夜中に主人がどうしてるかなと思って扉を開け、“あーすごく安心して寝ているな”と思ってミルキーの近くに行ってみたら亡くなっていました。それほど安らかな表情だったんです」 ――安らかに眠るように…家族の想いが通じたのかもしれません。長年、猫と生活を共にしてきた増田さんですが、改めて、どんなところに魅力を感じますか。 「猫ちゃんたちのふわふわした毛、抱っこすると“たろん”となるしなやかさ…私は、その感触がものすごく好きです。そっとそばに寄り添って、疲れた心を癒してくれますし、何が起きても淡々と過ごしているので、人間も、猫のように生きられたらどんなに幸せなことでしょう。彼らはみんな、幸せのあり方を知っているので、そういうところも素晴らしいなと思います」
中島みゆきの「慕情」にかけた思い
――ここからは、増田さんの近況を教えてください。1月に、CD「歌縁‐中島みゆき RESPECT LIVE 2023-」がリリースされました。増田さんは今回、中島みゆきさんの「慕情」をカバーされましたが、曲に対する思いがあればお聞かせください。 「この曲に挑む時は、ものすごく勇気がいりましたし、緊張しました。私にとって、みゆきさんは神。ある日、長年応援していただいているファンの方に、“ケイさんに『慕情』はすごく合うと思うから、主題歌になっているドラマ『やすらぎの郷』を見て!”と言われたんですね。ドラマを見て、初めて『慕情』を聴いた時、あまりの素晴らしさに感動して泣いてしまって、“いつかこの曲をステージで歌ってみたい”と思いました。 そんな中、『歌縁』のお話をいただきましたが、しばらくして、私の兄の妻が膵臓がんを患っていることが発覚しました。兄夫婦は本当に仲が良く、“2人で残された時間をどう過ごそうか”とものすごく話し合っていたので、その言葉どおり、兄は義姉に寄り添い、その言葉どおり、義姉は逝きました。そんな2人の姿を見て、“この歌には先に逝ってしまった人の気持ちや大切な人を失った者の後悔が込められている。兄夫婦の気持ちを表現して歌いたい”と思うようになり、私の大切な歌になりました」 ――つらいご経験をされて…。増田さんがおっしゃるとおり、「慕情」は、さまざまな人生経験を積んだ人たちの心に響く曲ですよね。 「そうですね。さまざまな捉え方ができますし、特に50代以上の人たちの心に響く曲だと思います。個人的には、運命の出会いだと思っているので、許されるならずっと歌い続けていきたいです」 ――最後に、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。 「義姉のこともあり、なかなか気持ちがそこから離れなかったんですけど、2022年にアルバムもリリースしましたし、今年はライブでもっともっと歌いたいと思っています。その中では、必ず『慕情』を歌いますので、みなさんぜひ、聴いてください」
【増田惠子 プロフィール】 1957年9月2日 生まれ。静岡県出身。1976年、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。数々の大ヒットを記録し、一世風靡した。 ピンク・レディー解散後、1981年に、「すずめ」(作詞、作曲:中島みゆき)でソロ歌手としてデビュー。2022年には、40th Anniversary Platinum Album「そして、ここから...」をリリース。 「慕情」が収録されたCD「歌縁‐中島みゆき RESPECT LIVE 2023-」も好評発売中。 「ネコにゃん~子猫はじめて体験物語~」(BSテレ東)に出演する。
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