西鉄貝塚線「都会のレトロ電車」600形の半世紀 5月23日で開業100年の福岡郊外路線を走る黄色い2両編成
高本さんは「貝塚線のほうが低速ということも理由かもしれません」とも話す。貝塚線車両の整備を担う多々良工場主任の小倉光博さんによると、「台車を変えるにあたってモーターは新製している」といい、ブレーキシューも交換しているという。いずれにせよ、貝塚線の600形は運転しやすい電車であることは確かなようだ。 ■「接点」の多い車両 600形は、装置のブラックボックス化が進んだ近年の電車と比べて「電気接点が多い車両」と小倉さんは言う。接点が多ければ、接触不良などを防ぐためのきめ細かなメンテナンスが欠かせない。調整の難しさもあるが、「自分の手で磨いたり削ったり、油を注したり調整したりできる」車両でもある。小倉さんは、「もう60年くらい使っている車両なのでさまざまなノウハウがあり、若い人たちには『こんな故障が起きたらこうするんだよ』と技術継承しながらやっている」と話す。
古い機器類は今では交換部品がないケースもある。例えば車内のスピーカーはすでに製造されていないタイプで、故障した場合は天神大牟田線の廃車に付いていた異なる形のスピーカーを外し、取り付け方法などを工夫して設置しているという。「簡単に『ポン』と付け替えできるわけではないので苦労しますね」。表には見えない工夫が長年の活躍を支えている。 600形が宮地岳線(貝塚線)に初めて転籍してからすでに30年以上。2007年の一部区間廃止で路線名が貝塚線に変わったことも含め、路線や沿線の姿はこの間に大きく変化した。
貝塚電車営業所長を務める高本さんは1988年に西鉄に入社。宮地岳線時代にも同所で運転士や助役を務め、その後天神大牟田線や本社での勤務などを経て現在の所長に就任し、宮地岳線・貝塚線の変遷を見つめてきた。今ものんびりした雰囲気のある貝塚線だが、かつては「人との接点、関わりがもっと多かった」という。1990年代、西鉄新宮駅に勤務していた際には、「電車で魚を売りに行く行商の方々が売れ残った魚をくれたりとか、世間話をしたりとか。そういう交流があるのがこの路線だったですね」と当時を振り返る。