【思い続けて15年、エルヴィスにお願いしたある事とは?】音楽評論家湯川れい子“夢のかなえ方”
「日本へ行きたい…」。空手の有段者で黒帯を持つエルヴィス・プレスリーは、そう語った。その夢がかなわなかった真相とは?エルヴィス・プレスリー、ザ・ビートルズやマイケル・ジャクソンなど、数多くの伝説の大スターを直接取材してきた音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん。数々の取材秘話の中から、エルヴィスにとんでもないお願いをしてOKをもらったお話について聞きました。 【動画で見る】エルヴィス・プレスリーからもらった大切なプレゼント
■エルヴィスに会うため海外旅行が認められた年に単身アメリカへ
私たち一般の人間が500ドルという外貨を買えるようになったのは、東京オリンピックがあった1964年からです。だから、夢がかなって、私はその年に初めてアメリカへ行くんです。エルヴィスを聴き始めてからもう8年もたってる訳ですから、もうエルヴィスに会いたい一心。何が何でも会いたい!って思いで、チケットを握りしめてアメリカに渡りました。今考えると、その時は何という無謀なことをしたんだろうと思いますけど…。 でも、会うのがどんなに大変かは分かっていました。だって、エルヴィスはアメリカのジャーナリストも含め、一切のインタビューを受け付けていなかったんです。もちろん日本のレコード会社がコンタクトするなんて出来ない。まだ、日本のレコード会社に、洋楽のセクションもない頃ですから。 それで、1960年代に入りパット・ブーンという、アメリカでエルヴィスと人気を二分する人が日本にコンサートで来るんです。パットを呼んだのは、やがて日本のプロモーターとしてビートルズなども手がけるようになる永島達司さんという方なんですけど。その頃の外国人のコンサートって必ず司会者がいて、私は達司さんに「ただでやりますから、是非やらせてください」とお願いしてパットのコンサートの司会をさせてもらいました。パットと仲良くなれば、エルヴィスを紹介してもらえると思ったんです。こんなに強力なことはないと。 それで、64年に念願かなって500ドルを持ってアメリカに行き、2週間ぐらいロスにいたんです。すぐそばにエルヴィスの事務所があることは分かっていたので、真っ先にパットの事務所を訪ねて「エルヴィスにつないで欲しい」って言ったら、パットがその場で電話をかけて「Reiko Yukawaというジャーナリストが日本から来て、エルヴィスに会いたがってる。何とかしてやってくれ」と言ってくれて、そうしたら「わかった」と返事があったんです。それで、その時はエルヴィスのお父さんから電話がありました。「何とかする」って言われて連絡が来るのを待ったんですけど、そのお父さんからの連絡が1回きり、それっきりでした。 マネジャーのトム・パーカーはとんでもない人で、オフィスに電話してもマネジャーにさえつないでもらえないし…。それで、今でも覚えてますけど、飛行機からロサンゼルスの街の明かりを見下ろしながら、会えなかったと涙をポロポロこぼしながら帰ったのを覚えています。