金正男氏殺害を受けて東京新聞・五味氏会見(全文1)出版、微妙な時期だった
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の兄、金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件を受け、東京新聞編集委員の五味洋治氏が17日午前10時半から、東京の外国特派員協会で記者会見する。 【中継録画】金正男氏殺害を受けて東京新聞・五味氏が午前10時半に会見
金正男氏の毒殺に非常にショックを受けている
五味:ご紹介いただきました、五味といいます。今日は日本語でお話しさせていただきます。今回の金正男さんの毒殺については、個人的にも非常にショックを受けております。私だけではなくて、私の妻も非常にショックを受けていて、きのうも夜、何回も泣いておりました。 先ほどより本の話がありましたが、本の出版を一番反対したのは私の妻です。それは、2011年1月に金正男さんと会ったときに、妻が同行してくれたからです。当時、私は子供がいませんでしたので、もし金正男さんと取材してトラブルに巻き込まれたときに、私だけ行方不明になるのはまずいと思って、妻に率直に話をして一緒に行ってくれと頼みました。彼女は同意し、私が取材しているところを写真に撮ってくれました。 会社の机の中には、会社には取材のことは言わず、机の中に手紙を置いていきました。万が一、私の行方が分からなくなったら、ここのホテルに泊まる予定だったと。この飛行機の便に乗る予定で、ここに行く予定だと、いろいろな日程を書いておきました。金正男氏が来ない可能性もあったので、来ない場合は2人で観光旅行をしようと思っていました。
タイミング的に非常に微妙な時期だったが出版を決意
私が、なぜそんなリスクを冒してまでマカオに行って彼に会ったんでしょうか。それは、私が長年携わっていた北朝鮮報道に対する考え方からです。ご存じのとおり、北朝鮮と日本は最も敵対している関係の国です。しかし、うわさ話や政府当局者の話が先行し、直接実名で語ってくれる人がほとんどおりません。そのため、私は彼に実名で写真を撮って、ビデオも撮っていいかときちんと確認した上で取材をし、それを本人にも見せて、事前に原稿を見せて記事にしました。東京新聞で。 そのあと金正男氏はいろいろなところから勇気のある発言をして、うれしかったと。特に韓国からそういう連絡を受けたと言っていました。そのあとも、その記事が出たあと、皆さんご関心があると思いますが、金正男氏からEメールが来て、北朝鮮本国から警告があったとメールがありました。ですから、これからは政治に関することはしばらく話しませんと。でも、あなたとの交流は続けましょうと言っていました。 その年の5月に北京で再会し、その前後も継続してEメールのやりとりをしました。その年の12月に金正日総書記が亡くなり、北朝鮮の将来に対する懸念、不安が高まりました。金正男氏には、私がこれまで積み重ねてきた取材、Eメールについて本にしてもいいかということについては許可を受けています。ただし、タイミングが今は悪い、ちょっと待ってほしいと言われたのは事実です。 私は、タイミング的に非常に微妙な時期ではありましたが、彼の思想や北朝鮮に関する考え方、人間性を伝えることこそ北朝鮮に対する関心を高め、理解が進み、日本だけでなくほかの国との、北朝鮮とほかの国との関係が改善されるという信念の下に本を出版いたしました。彼の主張を簡単に要約すれば、北朝鮮の体制の在り方に批判的だったということです。最初には、権力の世襲は社会主義体制と合わず、指導者は民主的な方法で選ばれるべきだと言っていました。北朝鮮は経済の改革、開放、中国式の改革、開放しか生きる道はないとも言っていました。この発言を報道したり本にしたことで彼が暗殺されたと皆さまがお考えなら、むしろこういう発言で1人の人間を抹殺するという、そちらの方法に焦点が当てられるべきでしょう。