金正男氏殺害を受けて東京新聞・五味氏会見(全文1)出版、微妙な時期だった
「こういうふうに世界に壁がなくなればいい」と語っていた金正男氏
この3日間、英語圏、〓中国語圏 00:16:34〓、韓国語圏、数百件の電話をいただきました。私は皆さま方にお勧めします。私に質問して全ての答えを得ようとせず、ご自分で直接ソースに当たって取材をしてみてください。それが北朝鮮を変える力になります。もともと私は金正男氏に関心を持ったのは2001年、北京の空港で取材の途中、偶然に出くわしたことからです。遊び人で、女性関係も複雑で、ギャンブル狂でといった、いろんなうわさがありましたが、私が会った印象では、非常にインテレクチュアルというか、知的な方で、礼儀も正しく、ユーモアもあって、非常に落差を感じました。 彼は金ファミリーの一員です。ですから、現在の北朝鮮の情勢について率直に話してくれるのではないかと期待し、それから7年間、私なりの努力を続けて、彼と接触しようとしてきました。私もかなりのリスクを冒して彼と会いましたが、今、私が称賛したいのは彼の勇気です。彼がたとえそのあと命乞いの手紙を出したとしても、彼は彼なりの決心で現在の北朝鮮の体制に関する批判をしたんだと思います。 批判ばかりではなくて、私が彼と会って一番記憶に残っている言葉を1つ紹介します。彼は日本に少なくとも5回来ています。東京の高級な飲食店で、お酒を飲むのが好きだと言っていました。そこには韓国系、北朝鮮系、一般の日本人もいて一緒に歌を歌い、酒を飲んで楽しんでいた。ですから、こういうふうに世界に壁がなくなればいいと思ったものですと話しました。私は今、日本の外交関係の記事を書くことがありますが、時々、彼の言葉を思い出しながら記事を書いています。できれば彼の言葉を、より多くの人に知ってもらい、現在の北朝鮮を変えていく力につながればいいなと希望しております。 最後に、今回の事件についての見方に関する質問をたくさん受けます。正直に言うと、私がコメントする十分な材料がありません。推測でいろんな可能性を話すことは、私が最も避けたいことです。きのう、妻とも話しましたが、私が今やることは彼の死を深く悼み、彼の思い出を妻と共有し、さらに世界あちこちにいる彼の友達と共有したいなということです。 たくさんの取材の申し込みをいただきましたが、私の思いは今の言葉で尽きております。昔から関係のある、いくつかのメディアの方には、これからもお話ししますが、取材は基本的にはお受けすることはしません。ご了解いただきたいと思います。個人的な時間もありませんし、まだ私は心が非常に混乱していまして、まとまったお話ができません。じゃあ、そろそろ時間になりましたので、このぐらいにしていただいて、質問を受けさせていただきます。 【連載】金正男氏殺害について東京新聞・五味氏が会見 全文2へ続く