【阿佐ヶ谷・カフェドゥワゾー】目指すのは、「砂糖を入れなくてもあまい、いつの間にかなくなっている珈琲」
文=難波里奈 撮影=平石順一 ■ 一杯一杯の珈琲と向き合う真摯な姿 気兼ねなく自宅のように寛げる場所というのもいいが、そこにいる間は少し背筋が伸びるような、よそゆきな気持ちで過ごせる店を知っているのもいいものである。JR阿佐ヶ谷駅北口を出て、神明宮を通り過ぎてからもまだまだ中杉通りをまっすぐ進んで、まもなく早稲田通りに差し掛かろうとする少し手前に佇む「カフェドゥワゾー」が、私にとっては後者のタイプである。 店名のドゥワゾーは、フランス語で「二羽の鳥」を指す。カウンターの中で、睦まじくやり取りをしている店主の宗 孝男(そう たかお)さんと奥さまの様子にぴったりだ、と思いながら目線を上げると、美しいカップたちがずらりと並んだ棚の上でも、アンティークの小鳥たちが寄り添っている。 こちらには、取材以前にも両手では足りないほどの回数訪れていた。誰かの注文が入るたびに、一杯一杯の珈琲と向き合う宗さんの気迫に満ちた姿は、まるで映画のワンシーンのようで、その勇ましさに見惚れるようにしては、どうにかまばたきがシャッターの代わりにならないものか、と思っていたほど。 宗さんの珈琲道は、南千住にある「カフェ バッハ」か、銀座の老舗「カフェ ド ランブル」、もしくはかつて吉祥寺にあった「モカ」のどちらかでアルバイトをしようと試みたところから始まる。結果、焙煎まで学べそうだと思った「カフェ ド ランブル」を選んで4年間働くうちに、「お客さんから『あなたの淹れるコーヒーはおいしい』と褒められて、いい気になって自分の店を持ちたくなった」と笑う。 その後、銀座の「十一房珈琲店」でも3年半ほど修行し、念願の店をかまえることに。阿佐ヶ谷の住宅地に決めたのは、当時近くにバナナフィッシュ、西瓜糖、ブックインなど、個性豊かなカルチャーに触れられる画期的な店たちがあり、面白いところだと思ったから。そこから月日は流れて、それらの店は閉じて今はないが、ドゥワゾーは2024年の夏に40周年を迎えた。 こちらでは、ランブルに倣ってネルでじっくりと湯を落としていく。緊張してしまう人も多いであろうカウンター席に座る特典は、職人たちのその美しい所作を間近で眺められることではないだろうか。ペーパーに比べて扱いが大変だと聞くネルは、布の厚さや縫い目で味が変わってしまうそうで、奥さまがひとつひとつ具合を見ながら縫っていく。 湯を落とす高さや温度、その速度など、美味しく淹れるコツはいったいどこにあるのだろう、と思いながら宗さんの手元を見つめていたときに聞こえた、「あの人みたいにはどうしても淹れられないのよねえ」というひとり言のような奥さまの小さな声が印象的だった。教科書や言葉でいくら教わったとしても、きっと日々積み重ねた指先の感覚や経験には絶対に叶わないのだろう。 「長く使っていても飽きが来ないように」と、カップは白を基調としたロイヤルコペンハーゲンのものが多い。注がれる琥珀色がもっとも映えるよう、内側も白い。宗さんが目指しているという「いつの間にかなくなっている珈琲」は、ゆっくりと味わっていたはずなのに、いつも気が付くと底が見えているので、「もう一杯」、という言葉が自然と口から滑り出てしまう。 宗さん曰く「淹れ方よりも大事」という焙煎は、週に4日、毎回4時間ほどかけて行う。「その時間にしか来られない常連客がいるから」と、閉店時間は22時。そこから明け方までかかることもあるそうで、長年続けているというその生活リズムに感嘆する。何かを極めるというのはきっとそういうことなのだ。
難波 里奈