「たねやも終わりだ」バカボンと呼ばれた4代目 なぜ「ラ コリーナ」やバームクーヘンを成功に導けたのか ~たねやグループの事業承継 後編
創業152年を迎える菓子の老舗「たねや」(滋賀県近江八幡市)。伝統の和菓子を作り続ける一方、バームクーヘンで知られる「クラブハリエ」、お菓子の旗艦店「ラ コリーナ」など、多彩な展開で成功しています。4代目の山本昌仁・たねやグループCEOは、少年時代は「バカボン」と呼ばれる悪ガキでしたが、2022年に過去最高売上げを達成するなど手腕を発揮しています。山本氏が、「たねや」を引き継ぎ、成長させていった軌跡に迫りました。 【動画】美味しそう…たねやカステラも登場
◆ボンボンと呼ばれることへの葛藤
「まあ、悪ガキでしたよ。勉強もろくにせずにね」。 少年時代の山本氏は、弟の隆夫氏(現クラブハリエ社長)と2人で、バカボン1号と2号と呼ばれ、「たねやも、この代で終わりだ」と言われるほどでした。 「たねやのボンボン」と呼ばれることに戸惑い、「なめられている」と勘違いして悪いことばかりしていたといいます。 目立ちたがり屋で「山本昌仁ここにあり」と振る舞い、商家の連なる近江八幡市街を屋根から屋根へ飛び移り、走り回るようなこともあったといいます。 しかし、山本氏は、幼い頃からお菓子屋に興味を持っていました。 それは、親を見ていると、大変さを感じながらも、楽しそうに仕事をしている姿があったからだといいます。
◆父の背中「ホンマに熱い人やなあ」
山本氏の父・徳次氏は、どんなことも自分でこなす人でした。 当時、スタッフ数も少なかったため、1から10まで自分で手掛け、少しずつ組織を築いていきました。 山本氏が小学校6年生の時、徳次氏は東京進出を仕掛けます。 当時、滋賀県の企業は、京都や大阪で実績を残し、東京に進出するのが一般的でした。 しかし、徳次氏は「確固たる名を残すには東京」と考え、東京の日本橋三越に進出します。 「お菓子には季節があるんや」。 当時の百貨店は、季節に関係なく、いつでも柏餅や桜餅が売られていました。 「たねや」は、かしわ餅を売る日、桜餅を売る日、水羊羹を売る日と季節感を全面に押し出し、その工夫で東京進出は成功をおさめていきます。 その頃の徳次氏は、家に帰っても仕事の話ばかり。山本氏は、子どもながらに「この人、ほんまに熱い人やなあ」と感じていました。