ドラマ話題で再注目…積水ハウス地面師事件が引き起こした「保身のクーデター」を追った藤岡雅さんノンフィクション「保身」
インターネット動画配信サイト「ネットフリックス」で今年、話題となったドラマ「地面師たち」。フリージャーナリストの藤岡雅さん(49)が3年前に執筆したノンフィクション作品「保身」(KADOKAWA、税込み2310円)が再注目され、版を重ねている。大手デベロッパーにとって「だまされるはずがなかった」地面師事件はその後、経営陣のクーデターを引き起こしている。あの時、何が起きていたのか。(久保 阿礼) 「積水ハウスの内紛の件を取材せよ」。2018年2月20日午前、藤岡さんのスマートフォンに週刊現代編集部から連絡が入った。前日、日本経済新聞のデジタル版に、20年もの間、長期政権を築いた会長が社長を中心とするクーデターに遭い、その座を追われたとのスクープ記事が報じられていた。前年にあった地面師事件との関連はあるのだろうか。業界を代表する大企業の内紛と事件の真相。大きなテーマを追う取材が始まった。 「もともとオリンパスや東芝の粉飾決算の取材をしていて、日本企業のガバナンスのあり方について疑問を持っていました。東芝の取材をしていた時ですが、会長を直撃すると、社長を痛烈に批判し出しました。それを記事にしたら、会長と社長の亀裂が深まり、次第に暴露合戦となり、隠されていた粉飾決算の問題があぶり出されたと聞いたことがあります。内紛によって不正が明るみになることはあります。クーデターを取材することで、あの事件が起きた背景や問題点が分かるのではないか、と」 積水ハウスは17年6月、地面師集団にだまされ、約55億円を失った。地面師とは他人の土地を自分のもののように偽り、第三者に売り渡す詐欺師を指す。戦後の混乱期、バブル期など闇社会の住人は手口を変えながら、犯行を繰り返してきた。当時、アベノミクスによる大規模な金融緩和が続き、20年には東京五輪・パラリンピックを控え、空前の不動産バブルに沸いていた。弛緩した空気の中で、事件は起きた。売買契約には社長の影響が強く働き、「社長案件」としていくつも社内チェックをすり抜けたことが調査報告書には記されている。ドラマは「だます」側を中心に描かれているが、藤岡さんは「だまされる」側を中心に取材を進めていく。 「地面師についていろいろな取材をしていたので、ドラマは最高に楽しみながら、見ました。特に、社内の人間関係はよく描いているな、と。積水はだまされる側でしたが、ゆがんだ組織はいつしか暴走を始め、走り出したら、止まらないのです。それは企業に限らず、検察などの組織も同じでしょう。そして、不祥事は内に抱え、隠します。現場の責任者はゼネコンからの接待漬けでした。マンション事業は社長の案件でした。社長はマンション事業で結果を出してトップまで上り詰めています。いつしか、組織の中でその取引について誰も何も言えない空気が生まれていました」 事件の現場となったのはJR五反田駅から徒歩3分、約600坪の老舗旅館「海喜館」。好立地なため、いくつもの不動産業者が本物の地主に接触したが、決して手放そうとはしなかった土地だった。犯行グループは嗅覚が鋭く、体調を崩し入院した地主になりすまし、パスポートや印鑑登録証、本人確認に必要なさまざまな書類を偽造し、積水に近づく。積水側もこの土地に大型マンションの建設計画を進める。 「調査報告書では、9回も取引をやめるべきタイミングがあったと指摘されています。(ライバル社の)野村不動産はリスクの高い土地であることを把握しており、積水側にも伝えていたはずですが、なぜかスルーされています。社内のさまざまなチェック機能が働かず、大きな事件につながってしまいました」 流行語大賞でも話題になった「もうええでしょう」。ドラマでは地面師側に何かミスが発覚しそうになると、ピエール瀧がそう言ってその場を制する場面があった。ただ、実際の地面師は安易なミスを連発するお粗末なものだった。調査報告書に記されたリスク情報は以下の9つだ。 〈1〉地主が自分の住所を間違えた〈2〉権利証の一部がカラーコピー〈3〉中間会社がペーパーカンパニー〈4〉本物を名乗る地主が内容証明郵便を送ってきた〈5〉2人のブローカーが抗議に来た〈6〉仲介業者が逃亡したとの情報があった〈7〉地主が内覧会に来なかった〈8〉地主が誕生日と干支を間違えた〈9〉取引を完了しているはずなのに、現場で警察への同行を求められた―。積水側はこれらの相手のミスに気づかず、稟議(りんぎ)書の不備や本人確認書類など真贋(しんがん)の確認を怠った。そして「社長案件」が錦の御旗となって、泥沼にはまっていく。 「その土地は結局、旭化成がマンションを建てました。ライバルの失敗は見逃さないですよね」 事件に関与した地面師側の人物を2度、都内で取材する機会があった。大きな案件があれば、古くからの知り合いの弁護士や司法書士がどこからともなく集まり、着々とプロジェクトが進められる。積水の場合、取引金額が大きく、内覧や司法書士による本人確認もあった。その人物は「身震いするような危険な取引だった」と振り返る。そして、その人物が発したこの言葉が今も強く印象に残っているという。 「我々の仕事は成功するという確信がないと成り立たない。確信は内通者がいることで一気に高まるものだ」 渦中にいた社長は事件の責任を負わせるため、自身を解任しようとした会長を多数派工作で返り討ちにした。その後、会長となり、約3年間、権力を保持し続けた。世間を騒がせた地面師事件は15人が逮捕され、主犯格らには実刑判決が下ったが、民事訴訟は今も続く。傷は余りにも大きかった。 「地面師事件から一連のクーデターは、サラリーマン経営者たちによる派閥の争いでした。事件について、自身の責任を問われた社長が調査報告書を隠蔽(いんぺい)するために、クーデターを起こしたのです。編集者との打ち合わせで『タイトルは“保身”でいきましょう』と提案を受けましたが、まさにその通りで、『保身のクーデター』です。会社のためではなく、社会のためでもない。笑ってしまいますよね。この滑稽さが、日本の大企業病のうちの一つと言っていいのでしょう」 ◆藤岡さんが選ぶ「おすすめの一冊」 ▼「対馬の海に沈む」(窪田新之助、2310円、集英社)改革なき組織がどのような事件を引き起こすのかを知ることができます。JAで「神様」と呼ばれた男が車に乗って海に沈み、溺死しました。人口3万人の長崎県の離島で、何が起きたのかに迫ります。 「恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白」(稲葉圭昭、770円、講談社)も一人の刑事の生きざまを通じ、裏金問題で揺れていた道警のゆがんだ体質を描いています。映画「日本で一番悪い奴ら」(主演・綾野剛)の原作にもなりました。 ◆「地面師たち」 原作は新庄耕さんの小説(集英社)。7月から配信され、3か月で1000万ビューを超えるなど話題に。辻本拓海(綾野剛)、リーダーのハリソン山中(豊川悦司)、「情報屋」の竹下(北村一輝)、なりすまし犯をキャスティングする「手配師」の麗子(小池栄子)、「法律屋」の後藤(ピエール瀧)らが大手不動産会社に、100億円に上る大型土地取引の詐欺事件を仕掛けるクライム小説。 ◆藤岡 雅(ふじおか・ただし)1975年4月6日、福岡県生まれ。49歳。拓大卒業後、編集プロダクションを経て、2005年12月から週刊現代の記者として、粉飾決算など経済事件を取材している。
報知新聞社