愛犬10年物語(2)番犬・同志・学園マスコット 世代超え劇団支えた犬たち
現在に至るまで、劇団自体にも大きな変化の波が襲った。新制作座を創立したのは、明治から戦前にかけて活躍した劇作家・真山青果の長女、真山美保。美保の代表作『泥かぶら』や青果の作品を演じ続ける生粋の演劇集団だ。「他の劇団はアルバイトをしながらであったり、商業主義でやっていたりすることがほとんどです。その中で、新制作座は『民衆の中で民衆と共に』という活動理念のもと、創立当初からプロの劇団として、地方での旅公演を大切にしています」と込山さんは言う。都会の大ホールや海外での公演もこなすが、地方の学校の体育館や公民館で演じることを真髄としている。劇団員のテレビ出演なども、芸能活動は本分ではないとあえて避けてきた。
日本中が安保闘争に揺れた1960年代初めには、約180人もの劇団員がいた。しかし、その半数近くは政治闘争を目指して入ってきた人たちで、「演劇第一」の生粋の演劇人と「政治的理念」が先に立つ彼らとの間で価値観の相違が表面化。結果、政治派と訣別する“事件”を経て、以降は真山美保が亡くなった2006年ごろまで、100人程度の規模を維持してきた。「“事件”の時は、新聞でレッドパージだのと騒がれましたけどね。そんな時も、犬たちは私たちの“同志”だったんです。(政治闘争派の)彼らがこっそり集まって会議をしているのを嗅ぎつけて、ウーッと犬たちが唸るんですね。『犬は分かってくれている』と真山先生はよくおっしゃっていましたよ」。真山美保は生涯子供を作らなかった。「私たち劇団員が家族だったからでしょう」と江崎さんは言う。犬たちのことも人一倍かわいがっていたが、「同志」という言葉が示すように、ここでは犬はずっと愛情と敬意を持って対等に扱われてきた。その姿勢は、現在の劇団員たちにも脈々と受け継がれている。
不登校の生徒も心を開く
真山美保が病床に倒れると、劇団の先行きへの不安と相まって、重い空気が漂った。「そんな時に子犬がいっぱい生まれて、無邪気な姿に救われました。でも、一方で『もう犬も育てられなくなるだろう』と思っていましたので、あちこちに譲ったんです。その中で、千代丸だけは逆まつげだったせいでもらい手がつかなかったんです」。そんな“味噌っかす”が、真山美保なき後の劇団員の心の支えになるとは、運命は分からないものだ。美保の遺言で、犬の世話係になった江崎さんは、その後、茶々の祖母と母を含む5頭を看取った。