<甲子園>決勝戦でプレーしたプロ野球選手たち
○2000年 智弁和歌山-東海大浦安 史上最強打線と呼ばれた智弁和歌山の主軸だった武内晋一は早稲田大に進学後、希望枠でヤクルト入り。以降はレギュラーには定着できていないが長打力と守備力を生かし貴重な戦力となっている。敗れた東海大浦安のショート山田憲はその年のドラフトで日本ハム入りしたが1軍でプレーすることはできなかった。 ○1999年 桐生第一-岡山理大付 群馬県勢初優勝を果たした桐生第一のエース正田樹はドラフト1位で日本ハム入りし3年目には新人王と華々しく野球人生をスタートさせたがその後は波乱万丈。トレードで移籍した阪神を戦力外となった後は台湾、アメリカマイナーリーグ、BCリーグ・群馬とチームを転々としたが2011年に4年ぶりにヤクルトでNPBに復帰、2013年には8年ぶりの勝利投手となった。現在は四国アイランドリーグでプレー中だ。正田の控えだった一場靖弘(楽天→ヤクルト)も裏金問題などで波乱の野球人を送った。桐生第一の4番だった大廣翔治(楽天)もプロ入り。敗れた岡山理大付の3番手岡本直也も横浜に入団、メキシカンリーグ、マイナーリーグなどでプレー後ヤクルト入りしNPB復帰。偶然にも正田と似たプロ野球人生を送った。 ○1998年 横浜―京都成章 史上最強のチームの1つ横浜が春夏連覇を果たした試合。エースの松坂は西武からメジャーリーガーとなった。女房役の小山(中日)小池正晃(横浜→中日→DeNA)もプロでプレー、クリーンナップの一角を務めた後藤武敏は西武入団後DeNAに移籍、甲子園決勝でプレー経験のあるNPBの現役選手では最年長だ。松坂にノーヒットノーランを喫し敗れた京都成章のキャッチャー吉見太一は大学、社会人を経て2006年にプロ入り、1年だけ松坂と同じチームに在籍することになったが、試合でバッテリーを組むことはなかった。 ○1998年 夏の甲子園を戦った“松阪世代”のその後 松坂を筆頭に、杉内俊哉(巨人)や和田毅(カブス)ら多くの優れた高校球児を輩出したことで知られる「松坂世代」。この世代からは、実に93人ものプロ野球選手が誕生した。そのうち98年夏の甲子園出場校からは、36人(大学・社会人経由含む)がプロの世界に飛び込み、先述の3人以外にも村田修一(巨人)永川勝浩(広島)久保康友(DeNA)らが現在も第一線で活躍中だ。前項の「甲子園決勝→プロ野球」に進んだ選手は「甲子園出場→プロ野球」の進路を取った選手の14%にも当たる。また、プロに入った「松坂世代」93人の38%に当たる35人が今も現役(日米合わせて)でプレーしており、「甲子園出場校の選手」に限れば、47%と半数近くが現役だというから驚きだ。 (株)日刊編集センター