フィリピンの国民的英雄から始まる日本との友好の絆
(2024.3.13~5.1 50日間 総費用23万8000円〈航空〉) 【画像】フィリピンの国民的英雄から始まる日本との友好の絆
セブ島の高校生が作成していた国民的英雄の物語
4月24日。セブ・シティのサン・ペドロ要塞公園を歩いていたら短編映画を作成していた高校生グループに会った。フィリピン独立の英雄“ホセ・リサール”が現代にタイムスリップして現代フィリピン社会を観察するというようなストーリーらしい。彼らの話しぶりからホセ・リサールがいかに国民から崇拝・敬愛されているか伝わって来た。 日本では一般に知られていないが、ホセ・リサールはフィリピン人なら誰でも知っている断トツ・ナンバーワンの国民的英雄である。マニラ中心部には壮大なホセ・リサール記念公園がある。どこの町にも必ず“ホセ・リサール通り”“ホセ・リサール公園”があり至る所にホセ・リサールの銅像が立っている。幼稚園から大学まで学校には必ず彼の銅像がある。調べると1956年に「ホセ・リサール法」が制定され全ての学校でホセ・リサールの生涯、著述を教えることが義務づけられている。
国民的英雄の35年の短い生涯
筆者は2年前に見学したマニラのホセ・リサール記念館(Rizal Shrine)を見学した。記念館は英雄の生涯を数多くの展示物で丁寧に紹介していた。 ホセは1861年6月19日にルソン島カランバで生まれ、1896年12月30日にスペインからの独立を扇動した罪でマニラのサンチアゴ要塞で処刑された。その処刑場跡地にホセ・リサール記念館が建てられている。 ホセの家系は父方に中国人、母方に日本人もいるスペインとフィリピーノの混血(mestizo)。白皙眉目秀麗学究肌の肖像が残っている。マニラのアテネオ学院で農業・測量を学びサント・トマス大学で医学を修了、21歳でマドリード大学医学部と哲文学部へ。この間に18歳でスペイン語の詩のコンテストで優勝。24歳で哲文学博士・医学学士。その後パリ大学で仏語と眼科を修め26歳からハイデルベグル大学、ライプティヒ大学、ベルリン大学で医学と社会学を学ぶ。 ホセは同時に語学の天才で英・仏・独・西・蘭・葡・露・中国など主要言語かラテン・ヘブライ・サンスクリットなど22カ国語を習得。 ホセは独立運動の精神的リーダーであるが同時に医師、著述家、詩人、学者、画家という博学多才ぶり。辛亥革命の孫文、魯迅、日本では平賀源内、南方熊楠を併せたような稀有な才人である。