「生き残った者の務め」元特攻隊員の私設資料館を継承へ 戦争の記憶を語る3千点 父の思いを後世へ 大分
15日の「終戦の日」を前に、14日は元特攻隊員が36年前に大分市の自宅に自ら作った資料館を後世に受け継ぐ取り組みについてお伝えします。 【写真を見る】「生き残った者の務め」元特攻隊員の私設資料館を継承へ 戦争の記憶を語る3千点 父の思いを後世へ 大分 大分予科練資料館。元特攻隊員の川野喜一さんが1988年、自宅の一角に設けた私設の資料館です。戦友や遺族から寄せられた写真や遺書など、およそ3000点が展示されていました。 ■「お前は生き残って慰霊をしろ」 (川野喜一さん)「戦争に参加した人が一番悲惨なことは知っている。お前は生き残って慰霊をしろという神のお告げだろうということで私も真剣にこれをやっている」 喜一さんは海軍飛行予科練習生、いわゆる少年飛行兵の18期生として、昭和17年、16歳で茨城県の土浦海軍航空隊に入隊。特攻隊として出撃する前日に終戦を迎えました。 36年間にわたって戦争の歴史を学ぶ場となった資料館。喜一さんが亡くなってからは長男の孝康さん(68)が受け継ぎましたが、今後、管理する人がいないことから閉館を決めました。 (川野孝康さん)「私が亡くなって以降が見えないので、私の代で橋渡しをすれば父の思いがその次の世代に移っていくのではないか」 館内には今の中学・高校生の年齢にあたる予科練生が何を考えていたかがわかる資料もあります。閉館を知り、訪れた人の中には戦争を研究するアメリカの大学関係者もいました。 ■「若い人は判断力をつけて」 (スタンフォード大学フーバー研究所・上田薫学芸員)「私は初めて見ました。紙に書いているものは絵とかもすごく幼さが残るような感じですよね。描かれた方の。最後のメッセージに書かれた手紙を読んだりだとか、予科練の日々の生活が書かれたものを見ることによって、若い人たちにこれから学習して判断力をつけてほしい」 閉館後、資料は大分市内にある県護国神社に移され来年、戦後80年の企画展で展示することが検討されています。 資料は慎重に選別され神社に向けて車によるピストン輸送で運ばれます。まさに人海戦術です。