人の皮を使った本も 書物に狂わされた人々──装丁への妄執、自動筆記、行方不明の原稿
『サド侯爵の呪い』ではこの巻物をめぐる人々のドラマが描かれているが、そうした裏話を持つ作品はほかにもある。たとえば、1950年代のエロティカ小説のベストセラー『O嬢の物語』はもともと、著者アンヌ・デクロ(ポーリーヌ・レアージュの名で出版)が恋人のために、ベッドの上で3カ月かけて書いた親密な物語だったそうだ。 『サド侯爵の呪い』には、こうした作品がいくつも出てくるが、その裏側にあるドラマまでは訳注におさめる紙幅もなかったので、ここで紹介したいと思う。
ジャック・ケルアック『路上』
『ソドムの百二十日』の浄書原稿はさきほど述べたとおり長さ約12メートルの巻物で、裏表に細かい手書きの文字がびっしり並んでいる。 だが、それよりも長いものがあった。ジャック・ケルアックの『路上』だ。 ケルアックはタイプライターの紙を変える作業に創作の邪魔をされないために、タイプ用紙を約37枚の長さにつなぎ合わせて、タイプライターに差しこみ一気に『路上』を書き上げたといわれている。 ちなみに、この1951年の初稿は、『サド侯爵の呪い』に登場するレリティエが立ち上げたアリストフィル社が、かつて展示会に出したこともある代物だ。2001年のオークションでは、240万ドルで落札された。 ところで、『路上』はケルアックがアンドレ・ブルトンの自動筆記(意識的ではない筆記法)よろしく、3週間取り憑かれたように創作に打ちこんで書いたものなのだが、1957年に世に出た版は推敲に推敲を重ねたものだ。それでいえば、ブルトンは自動筆記という点でサドを賞賛していたが、サドはヴァンセンヌに収容されたときから『ソドムの百二十日』を準備しており、バスティーユではその内容を巻物に浄書している。 まあ、それでも、蝋燭の灯りを頼りに、三十七夜で書き上げたことには驚きしかない。
ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』
『サド侯爵の呪い』に登場する記者ジェローム・デュピュイは、フランスの古書業界を根底から覆すような詐欺事件に気づき、この事件を記事にした人物だ。 デュピュイはかつて出版業界に着目し、数十年間行方が分からなかったセリーヌの『夜の果てへの旅』の手稿が最近になって発見されたことを報じて有名になったという。『サド侯爵の呪い』には、なぜ原稿が行方知れずになっていたのか、詳しい説明は書かれていない。だが、ちょっと気になったので調べてみると、そのヒントとなるような話があった。 セリーヌはフランス文学を代表する作家であると同時に、反ユダヤ的な評論を書いたことで物議を醸した作家でもある。第二次世界大戦中の1944年に連合軍がノルマンディーに上陸したとき、彼はデンマークに亡命した。その際に複数の手書き原稿をパリに置いていったという。 時を経て、あるジャーナリストがそのうちの『戦争』の原稿を保持していると名乗りを上げ、裁判沙汰となった。『戦争』は1934年に書かれたといわれているが、没後60年にようやく世に出ることになった。『夜の果てへの旅』も亡命時に失われた原稿のひとつだったのだろうか。