「産めなくても親になれる」特別養子縁組という選択肢 子供の福祉と両立も周知なお不十分 私たちが不妊と向き合った理由
不妊治療を尽くしても子供を授からなかったり、最初から妊娠・出産が厳しい状況下にあったりするカップルも多い。こうしたケースで、子供を迎える別の選択肢として注目されるのが、特別養子縁組だ。もともと、制度の狙いは親と暮らせない子供の福祉を図ることにあるが、子供を家庭のぬくもりの下で育てたいカップルとうまく出会うことで、双方が幸せに包まれるケースも多い。 【写真】長女(右)が2歳当時、久保田智子さんは旅先で一緒に遊んだ ■「充実の子育ての日々」姫路市教育長、久保田智子さん(47) 「新生児だった娘は小さくて、かわいくて。夫が抱いたら笑い、うちの家族になるのがうれしそうに思えた。本当に幸せだった」。元TBSアナウンサーで、現在は兵庫県姫路市の教育長を務める久保田智子さん(47)は、5年前に特別養子縁組で生後5日の女児を迎えた当時をこう振り返る。 ■20代で不妊症の診断 久保田さんはアナウンサーだった20代のころ、生理不順で診察を受けた医師から「子供を授かるのはまず無理」と告げられた。不妊症の診断に、絶望の淵に立たされた心境だった。 「結婚も出産もまだ先だと思っていたので、すごくショックだった。『努力すれば夢はかなう』と信じてやってきたのに、自分の力ではどうにもならないことがある。結婚して子供が生まれるという旧来の家族の価値観から自分が取り残されたような気がした」 それでも仕事柄、カメラの前では明るく、気丈に振る舞うしかなかった。ただ、芸能人の「おめでた」ニュースを伝えるときは、胃に痛みが走った。 不妊の事実を告げられて10年近くが過ぎたある日、自分がサブキャスターを務める番組で、特別養子縁組で子供を迎えた夫婦の映像を目にした。子供をあやしながら笑う母親は幸せに映った。 「産むことができなくても親になる選択肢があるんだ」。出産というプレッシャーから解放され、救われた気がした。 当時交際していたパートナーに特別養子縁組の話をすると、「一緒に考えよう」と答えてくれた。このとき、久保田さんは38歳。この言葉が結婚に向けた背中も押してくれた。制度を使って子供を迎え入れるために、本格的に動き出した。 ■娘が1歳で「ママ」