鳥取と京阪神結ぶスーパーはくと運行30年 1800万人以上運ぶ
鳥取県東・中部と京阪神を結ぶ特急スーパーはくと(智頭急行とJR西日本の共同運行)が3日、運行開始から30年経ち、JR鳥取駅で記念式典があった。智頭急行によると、2023年度末時点で約1870万人の乗客を運んだ。23年度1年間だけで鳥取県の人口と匹敵する53万人余りが乗ったという。 【写真】運行30周年を記念してくす玉を割る関係者=2024年12月3日午前10時7分、鳥取市、清野貴幸撮影 スーパーはくとは1994年12月3日に運行を始めた。鳥取駅の改札口前であった式典では、智頭急行の西尾浩一社長があいさつ。最初の列車を出迎えた30年前を「ホームは客であふれるほどだった」と振り返り、「次の30年につながるようしっかり運行させていきたい」と抱負を述べた。同社の会長でもある平井伸治・鳥取県知事は「30年間しっかりと定着した。スーパーはくとと智頭急行をこれからも応援してください」とあいさつした。 京都発倉吉行きの下りスーパーはくと1号が到着すると、市の夏祭り「しゃんしゃん傘踊り」が披露される中、改札に降り立った乗客に平井知事らが記念品を手渡した。 スーパーはくとは倉吉・鳥取―大阪・京都で運行。鳥取―大阪は毎日8往復走り、最速約2時間半で結んでいる。(清野貴幸) 1994年12月3日午前7時10分、特急スーパーはくとの上り一番列車が定刻にJR鳥取駅を出発した。山陰と京阪神を直結する路線のうち、鳥取県智頭町と兵庫県上郡町を結ぶ約56キロの智頭急行智頭線が開業した日でもある。 智頭急行が2005年に発行した記念誌「智頭急行10年のあゆみ」によると、当時の西尾邑次(ゆうじ)・鳥取県知事は開業日を定めた理由を「単純だった。いち、にぃのさん。さぁー走ろう、出発だ、という意味」と説明。当時の高揚感が伝わってくる。 智頭線は苦難の開業だった。国鉄の新路線として1966年に着工されたが、レールを敷く路盤工事が93%まで進んだところで国鉄の経営悪化のあおりで建設工事が休止に。開通を望む住民の声に押されるように鳥取、岡山、兵庫3県と沿線自治体などが第三セクター・智頭急行を設立し、工事は87年に再開された。 コスト面などの理由から電化は見送られたが、スーパーはくとには気動車(ディーゼルカー)で当時最速の時速130キロが出る最新鋭車両を導入。カーブが多い山間部でも乗り心地の良さと高速を両立させる「振り子式」の先進技術も搭載された。 それまで福知山線経由などで4時間以上かかっていた鳥取―大阪間を約2時間半に短縮。開業間もない95年1月の阪神・淡路大震災では運休も余儀なくされたが、開業5年目の98年度決算で黒字化を達成した智頭急行の屋台骨を支えている。鳥取の自然や文化を採り入れた内装は08年度に日本産業デザイン振興会(当時)のグッドデザイン賞を受けた。 車体は近い将来、新型への更新が検討されている。(清野貴幸)
朝日新聞社