なぜ日本はスコットランドとの死闘を制して8強を決め歴史を塗り替えることができたのか?
残り時間は24分だった。7点差に迫られていたが、インサイドセンターの中村亮土は「気合いです。チームにどれだけの思いがあるか、どれだけのものを背負っているか、です」との思いでいた。鋭い出足のラインに加え、抜かれた際のカバーリングを徹底した。 それでも防戦一方。 後半38分には、自陣ゴール前で相手ボールスクラムのピンチを迎えた。この時すでに中村は退いていたが、フィールドに立つ15人に「どれだけのものを背負っているか」の意思はあったのだろう。 途中出場していたスクラムハーフの田中史朗は、「ちょっと疲れている感じはありましたけど、チームとして声を出した。『半端ない努力をしてきた。踏ん張ろう』と」。 自陣22メートルエリア左中間で、かすかにスコットランドの援護が遅れた接点へ赤白ジャージが1人、2人と身体を差し込む。ボールを奪いとった。ターンオーバー。 34歳の田中が周りを落ち着かせ残り時間を潰しにかかった。3、4人の塊を作ってボールをキープ。安全なラックでジリジリと進めた。 「時計を見ながら、ゲームを締める。そう意識しました」 スタンドの大声援が、ラストワンプレーを告げる。「5! 4! 3! 2! 1!」。接点の後方に立つフルバック山中亮平が、田中から受け取った球を左タッチラインの外に蹴り出す。ノーサイド。28―21。6万7000人を超える観客がまた沸いた。 10月13日、神奈川・横浜国際総合競技場で歴史が動いた。ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の予選プールA最終戦で日本代表がスコットランド代表を制して4連勝。4トライ以上のボーナスポイントも加え勝ち点を19に伸ばし、プール1位で史上初の決勝トーナメント進出を果たした。 対するスコットランド代表は、決して甘くはなかった。歴代の日本代表にとっては戦前までの対戦成績で1勝10敗と大きく負け越していた相手で、いまの日本代表が9月28日に下したアイルランド代表と同じ欧州6強の一角。 前の試合から中3日と苦しい日程(日本代表は中7日)を強いられながら、主力に十分な休養を与えるなど万全の態勢で臨んでいた。前半6分にはキックパスを駆使した攻撃で先制し、大きくリードされた試合終盤にもワイド攻撃で日本代表を猛追した。 それだけに、敗戦の落胆は大きかったか。