最高裁の「判事」を経ずに「長官」になるきわめて異例の出世…裁判員制度導入がもたらした「刑事系裁判官」の逆襲
刑事系裁判官の逆襲
また、裁判員制度導入決定後、司法行政上の重要ポストのかなりの部分を、数の上からいえば民事系よりはるかに少ない刑事系裁判官が占めるという異例の事態が起こっている。 まず、以下の記述の背景として、2001年6月司法制度改革審議会意見書提出、2004年5月これに基づく裁判員法(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律)成立という事実、および、裁判員制度導入の中心人物であった竹崎氏の、1997年から2002年まで経理局長、そのまま2002年から2006年まで事務総長、2年間の高裁長官時代をはさんだ後2008年以降最高裁長官という経歴を押さえておいていただきたい。 インターネットで調べると、この間(2000年ころ以降)の最高裁関連トップ人事は次ページのとおりとなっており、各ポストにおける刑事系優位の傾向が明らかなのだ。なお、民事局や刑事局のようにそこに入る裁判官の系列が決まっているポストは除いてある。また、情報政策課長についてはデータが存在しなかった(いずれにせよ、歴史が浅く、比較的重要性の低いポストである)。
刑事系のあからさまなポスト優遇
各ポストにおける刑事系優位の傾向は以下のとおりである。 最高裁長官2006年以降2人続けて刑事系(これまでで初めて。なお、それ以前の最高裁長官15名のうち裁判官出身者は11名であるが、うち刑事系は2名だけである)。 最高裁判事については2000年以降に最高裁入りした14名のうち5名が刑事系(前記の2名の最高裁長官を含む)。 事務総長2000年から09年までと12年以降。人事局長2007年から11年まで。経理局長1997年から2006年まで。総務局長2009年から13年まで。秘書課長兼広報課長2002年から10年までと2012年以降。いずれも刑事系(なお、2000年以降の刑事系事務総長は現職者を除き全員がその後最高裁判事になっている)。 最高裁首席調査官2008年から12年まで刑事系(刑事系は過去に一人だけ。37年ぶり)。 司法研修所長1999年から2001年まで、07年から10年まで、11年から13年まで刑事系。 また、高裁長官や大地家裁所長の人事についても、刑事系優先の傾向は同様に明らかである。 以上であるが、これらの人々の所属する期についてみると、おそらく、私の期と大差なく、純然たる刑事系エリートは一期に2、3名までではないかと思われることを考えていただきたい。少数派である刑事系の占める割合がいかに大きいかがおわかりになるだろう。ことに事務総長と秘書課長(兼広報課長)は極端であり、「上意下達システムの要となるこの2つのポストは刑事で押さえる」という方針が露骨にみてとれる。事務総局における意思決定の中核となっている事務総局会議の主宰者が事務総長であり、同じく審査室会議(なお、「審査室」という組織が現実に事務総局に存在するわけではない)の議長が秘書課長である(新藤宗幸『司法官僚──裁判所の権力者たち』〔岩波新書〕52頁)ことを考えるべきであろう。 『「前代未聞であり、言語道断である」…「最高裁長官」の主導による「大規模な情実人事」が下級審裁判官たちに与えた悪影響』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)