「ポールダンスや掃除検定に手を出すも…」ミルクボーイ・駒場 M-1優勝前の暗黒期と迷走から復活できた「言葉」明かす
小学校時代からお笑いの道を目指していたミルクボーイの駒場孝さん。相方・内海崇さんから「熱量が高すぎて嫌やった」と言われるほどの情熱が、芸人人生5年目を迎えたあたりから、よからぬ方向へと暴走し始めます。(全4回中の1回) 【写真】「こんな綺麗な方に」駒場さんに逆プロポーズをした妻との挙式写真など(全12枚)
■相方はそこまで芸人を目指していなかったが… ── 小学生のころからお笑いが好きだったそうですね。 駒場さん:親の仕事の都合で沖縄に住んでいましたが、大阪にいる親戚から吉本新喜劇のビデオを送ってもらうくらい、お笑いが好きでしたね。ひと言で周りを爆笑させるとか、誰も思いつかんこと言って場が盛り上がるのがカッコイイ!将来は芸人になりたいって子どものころから思っていました。
── 中学1年生のときに神奈川県に引っ越されましたが、大学は大阪芸術大学に進学されます。 駒場さん:高校卒業したらすぐにNSC(吉本総合芸能学院)に入りたかったんですけど、「大学にはいったほうがいい」と親が言うので「わかった」と。大阪芸術大学の放送学科を選んだ理由は、もし芸人になれなくても、テレビとかラジオの裏方の仕事ができるかもしれないと思ったのと、大学と並行してNSCに入りたかったから。東京にもNSCがあったんですけど、ダウンタウンさんとか憧れた先輩たちと同じ場所に行きたかったし、お笑いの本場は大阪なイメージがあって。
── 大学では落研(落語研究会)に入られます。 駒場さん:すぐにでもNSCに入りたかったので、まずは相方を見つけようと。落研の同期が僕を入れて4人いたんですが、めちゃくちゃ無口なやつや、そこまで熱量がないやつばかり。「(お笑いの)将来まで考えてない」と言われて、ほなあかんなと。相方の内海は6月になってから、落研に遅れて入ってきたんです。明るいし、しゃべってておもしろいから「コンビ組まへん?」って誘いました。ちょうど落研の先輩らが寄せのイベントやるから1回生もコンビ組んでやることになったのが初めてのライブですね。夏にはアマチュアのライブに出たりしながら、そのまま今に至るんですけど。