繊維撤退「生き残りかけ」…ユニチカ、構造改革進まず
「三大紡績」の一角に数えられた老舗・ユニチカが、祖業の繊維事業を手放すことになった。28日に開いた記者会見で、上埜修司社長は、繊維事業の構造改革が進まず、資金繰りに窮したことが、ここに至った原因だったと説明した。今後は筆頭株主となる官民ファンド「地域経済活性化支援機構」(REVIC)の下、包装用フィルムなど高分子事業に注力し、再建を図る。(松本裕平)
大阪市内で会見した上埜社長は、「ユニチカが存続するための最後のチャンスで、生き残りをかけて再生計画を遂行する」と述べた。
ユニチカは1889年に創業。鐘淵紡績(カネボウ、現クラシエ)、東洋紡績(現東洋紡)と並ぶ「三大紡績」の一角として、日本を世界最大の紡績国に押し上げた。好調な業績の下、1964年東京五輪では、社有チーム主体の女子バレーボールが金メダルに輝き、「東洋の魔女」と称された。女優の風吹ジュンさんらを輩出した「マスコットガール」も話題となった。
しかし、近年は安価な中国製品の流入や人口減による市場の縮小もあり、繊維事業の環境は厳しさを増している。
こうした状況を受け、ユニチカは構造改革を繰り返してきた。
リーマン・ショック後の2009年3月期は、最終利益が139億円の最終赤字に陥った。多角化を模索したものの、新たな成長の芽は出ず、13年3月期に再び108億円の赤字に転落した。
14年には金融機関に支援を要請し、計375億円を調達して繊維の生産の海外移転などを進めた。その結果、15年3月期の270億円の最終赤字から、翌16年3月期は69億円の最終黒字に転換した。
回復基調は長くは続かなかった。中核事業のフィルム事業への積極投資がコロナ禍による環境変化で裏目に出たことで、生産能力が過剰となった。24年3月期は本業のもうけを示す営業利益が24億円の赤字に転落し、財務が悪化した。
繊維事業の競争力を高められず、屋台骨だったフィルム事業も揺らいだことで、繊維事業を持ち続ける余力を失った。今後は蓄積した技術力を基に、高付加価値製品を開発して収益の核としつつ、ガラス繊維などの機能素材を育てる青写真を描く。
REVICの渡辺准社長は「フィルム事業など有用な経営資源があり、破綻すれば地域経済への影響が大きい」と支援する意義を強調した。