まるで25年前のスペシャルウィークを彷彿…ドウデュースの鬼脚を引き出した武豊騎手の傑出した技術と鋼のメンタル【天皇賞(秋)】
かつて「ミスター競馬」と呼ばれ、調教師としてシンボリルドルフを育てた野平祐二氏に、1993年の日本ダービーに関するインタビューをしたときのこと。この年はウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの三強争いと見られており、実際にこの3頭で決着したのだが、野平氏は3着には敗れたものの、ナリタタイシンの手綱をとった武豊騎手の胆力に舌を巻いていた。 鋭い追い込みを武器としたナリタタイシンで後方待機は必然ではあるものの、まだ「第1コーナーを10番手以内で通過しないと、ダービーは勝てない」という”ダービー・ポジション”というジンクスが強く残っていた当時、追い込みに徹することはある意味で勇気のいることだった。3着に敗れたものの無理に前に付けようとはせず、後方待機の策をこともなさげにやってのけた当時24歳の若武者を野平氏は、「分かっていても動きたくなるのがダービーというレース。彼の胆力は私の理解の範疇を超えている」と驚嘆とともに評したことを思い出す。それが武豊騎手の凄みである。 今年の天皇賞(秋)は「ドウデュースの鬼脚が炸裂した記念碑的なレース」と記憶されるべきものだと思う。そして、その脚を引き出した武豊騎手の傑出した技術と鋼のメンタル、愛馬を復活勝利に導いた友道康夫厩舎と牧場スタッフの卓抜した能力にも賛辞を送りたい。 一方、気になるのは人気を裏切って大敗したリバティアイランド。中団から位置を押し上げながら3番手で直線へ向き、さてここからというところで伸びを欠いて馬群に沈んでしまった。川田将雅騎手は「4コーナーまで抜群の手応えでこられましたが、これだけ動けなかったのは初めて」と戸惑いを口にしたという。 同馬は馬体重が前々走となる昨年のジャパンカップと比べてプラス22キロと目立つ数字だったが、パドックで見た限りでは太め残りとは感じられなかった。3月末のドバイ遠征以来、約7か月ぶりの実戦であり、追い切りで抜群の動きを見せていたものの、俗にいう「中身が伴っていない」状態だったのか。真相は掴みかねるが、かなり心配な負け方であったのは確か。稀代の三冠牝馬は秋のGⅠシーズンに欠かせぬ存在だけに、彼女らしい走りを取り戻してほしいと願うのみである。 取材・文●三好達彦
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