「親の”尊厳死”を認めたとき、涙がどっと溢れてきた」…ベテランの保健師が直面した”想像を絶する”選択
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 【漫画】くも膜下出血で倒れた夫を介護しながら高齢義母と同居する50代女性のリアル 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務めた筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第30回 『「延命処置をせず自然死を」…親本人が“尊厳死”を望んでも家族が勝手に治療を希望する先にある「苦痛」』より続く
保健師の選択
現在は介護アドバイザーとして活躍している鳥海房枝さんは、保健師として長く地域保健に関わってきた大先輩です。 その鳥海さんがあるとき、お父さんを病院で看取ったときのことを話してくれました。入院していたお父さんがいよいよ弱ってきて、口から十分に食べられず、痰を自力で吐き出すことも難しくなってきたとき、家族を代表して医師に呼ばれました。そして、「チューブを入れるか、入れないか」「気管切開をするか、しないか」を聞かれました。 鳥海さんは「チューブは入れない、気管切開もしない」ということを、明確にていねいに答えたそうです。そこで医師は続けて聞きました。 「あなたは保健師を長く務めている方とうかがいましたので、今チューブを入れないこと、気管切開をしないことがどういうことにつながるか、十分ご承知ですね」 それに対して鳥海さんは、 「はい、わかっております」 と答え、そのあと涙がどっと溢れてきたそうです。
「そんなに簡単なものじゃない」
その話をしてくれたとき、鳥海さんは言いました。 「私は地域医療の現場で人の死に目にもたくさん立ち会ってきたし、人前でターミナルケアについて話をする立場にもなった。安直な延命処置には、断固として異を唱えてもきた。でも、親の体にチューブを入れるかどうか、喉に穴を開けるかどうかという問題に直面したときは、胸にせまるものがあったね」 「鳥海さんでも大変なことなんですね」 「うん、無駄な延命になることは十分わかっていても、やっぱり迷うよね。すぐに気を取り直して『しません』と答えたけど、そのあと先生から『どういうことかおわかりですね?』と聞かれて、泣かずにはいられなかったなあ……」 さまざまな現場で経験を積み、十分な知識があり、状況判断能力も高い鳥海さんのような人でも、自分の親のこととなるとやはり気持ちは揺れるのです。まして普段は医療とは縁遠いところにいる一般の人が、大きく揺れ動いたり、なかなか決断できなかったりするのは当然のことです。 鳥海さんは「自己選択、自己決定が大事だと言うけれど、そんなに簡単なものじゃないよ」とも言いました。
髙口 光子(理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士・現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表)