【フィリピンの中華街と華僑ビジネス】世界最古のチャイナタウンと言われているのがマニラ中華街
セブ島のチャイニーズ・ビレッジ“ビバリーヒルズ”
1521年のマゼランの来航以来セブ島は、スペイン人の最初の活動拠点となった。セブ港に隣接するサンペドロ要塞には初代総督レガスピの銅像がセブ・シティーを睥睨している。スペイン人植民者と同時に中国商人も集まってきた。現在セブ・シティーは人口100万人でフィリピン中部のビサヤ諸島の経済の中心である。そして経済を支配しているのは華僑である。 2022年7月。投宿していたセブ・シティーの下町から路線バスを3回乗り換えて市街地を抜け北の郊外まで約1時間。丘陵地帯の麓のバス停からさらに徒歩約30分で高台にあるビバリーヒルズの入口のゲートへ。 ビバリーヒルズとは華僑の富裕層の豪邸が緑に覆われた丘陵地帯にポツンポツンと建っている超高級住宅エリアである。一区画が最低でも数ヘクタールで数十ヘクタールの敷地の邸宅がざらにある。 ゲートから南の方向にセブ・シティーの中心部とセブ港が望見できる。下界とはジャングルの緩衝地帯と丘陵により隔絶されており、大勢のガードマンで固められた入口ゲート以外からビバリーヒルズに進入することはできない。 ビバリーヒルズの広大な敷地内には道教、仏教などの寺院や展望台もある。しかしセキュリティー確保のためゲートからビバリーヒルズ内部に進入できるのは事前登録された乗用車、観光バス、タクシーのみ。観光バスは寺院・展望台など観光名所のみ短時間の停車が許可される。タクシーは入口で登録して予定退場時刻を申告する。 徒歩での入場は規則により不可とのこと。てくてく炎天下を歩いてきた放浪ジジイのためにガードマンが近くのタクシー会社から車を呼んでくれた。タクシー代がバカにならないので道教寺院を少し覗いて早々にビバリーヒルズから退散した。貧富の格差を肌身で感じた一日だった。
ネグロス島のドゥマゲッティの中華街の現在
3月26日。ネグロス島東部のドゥマゲティ市は人口13万人の学園リゾート都市。郊外の中国人共同墓地に墓参に来ていた老人にドゥマゲティの中華街について聞いた。戦後の混乱期にドゥマゲティに移住してきた中国人の多くはコロン・ストリートに店を開いて中華街が形成されたとのこと。 実際にコロン・ストリートを歩くとほとんど漢字の看板がない。中国人らしい人間が店番をしている古い金物屋で尋ねると奥から85歳の老婆が出てきた。中国語は忘れたという。訥々と英語で語るには福建省の厦門(アモイ)から戦後の混乱期に親戚を頼って夫婦でドゥマゲティに移住して数年後に現在の金物屋を開いたという。 当時は大陸から逃げてきた中国人がコロン・ストリートに住んで商売をしていたが、その後は現在の市場やデパートがある中心街に引っ越したとのこと。確かにコロン・ストリートには金物屋以外に往時の中華街を彷彿させるのは、古びた漢字の看板が残っている数軒の廃屋だけだった。 中心街を歩いても漢字の看板がほとんど見当たらない。フィリピンには中国系フィリピン人(チノイと呼ばれる)は多いが、マニラのように歴然とした中華街はあまり見かけない。ドゥマゲティ中心街には1969年創設の中国人キリスト教会や、1928年創立の聖十字中国中学があり中国系フィリピン人が居住しているが、60~70年の間に戦後移住してきた中国人はフィリピン社会に同化したのであろう。