日本のシュトーレン、先駆けは饅頭屋だった!?福岡『千鳥屋』に聞いたお化けパン”と呼ばれたシュトーレンが日本で愛されるまで
近頃、日本でもクリスマスの定番となりつつあるシュトーレン。ドイツ発祥の発酵菓子で、バター、ドライフルーツ、木の実、スパイスなどをふんだんに使ったリッチな味わいは多くの人の心を掴んできました。 ところで、シュトーレンはいつから日本でも食べられるようになったのでしょうか? 今回は、日本で初めてシュトーレンを作り、販売したとされる福岡県の『千鳥屋』を取材。販売当時は“お化けパン”とも揶揄されていたという外国菓子が、ここまで愛されるようになった歴史を、広報の今泉さんに伺いました。
1軒の饅頭屋から始まった!1人のお菓子好きがドイツで手に入れた本場の技術とシュトーレンのレシピ
『千鳥屋』は390年以上の歴史をもつ福岡県の老舗菓子店。当時、南蛮菓子と呼ばれたお菓子に多大な影響を受けて作られた「千鳥饅頭」や、「かすていら」、「丸ボーロ」は現在も店の名物です。 異国のお菓子を積極的に取り入れる風土があった『千鳥屋』。日本で初めてシュトーレンを販売し始めたのはいつごろだったのでしょうか。 今泉さん「シュトーレンは当時の社長 ・原田光博が持ち帰った本場ドイツのレシピを元に、1969年の冬から販売をスタートしました。原田はお菓子に対する情熱と野心を人一倍持っている人で、いつかドイツで菓子修行がしたいと常々言っていたそうです。 そしてその夢が叶い、ドイツ北部にあるハンブルクで3年間修業。本場の味を身体に叩き込ませるため、朝から晩まで働き、少しでも休みができれば街のケーキ屋に通い研究を重ね、ケーキ尽くしの日々を過ごしていたそうです。
ついにはハンブルクでも一等のケーキ屋『ベーレント』から、代々受け継がれてきたシュトーレンのレシピを教えてもらえることに。プロイセン王国時代から伝わる正統派のシュトーレンは、当時の原田にとって宝石以上の価値あるものに見えたのではないでしょうか」
昭和44年。“お化けパン”と揶揄されたシュトーレン
苦労して手に入れたシュトーレンのレシピ。ところが販売当時、世間の反応はあまり良いものとは言えなかったそう。 今泉さん「パンといえばフワフワした食べ物というのが一般的だった当時。大きくて、ずっしり重いシュトーレンはそれだけでも異質なものに見えたのでしょう。さらにひと月も日保ちするわけです。一時は“お化けパン”と揶揄されていたそうです」