「松本サリン事件」から20年 事件が残した教訓は? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
オウム施設でサリン副生成物が見つかり急展開
急展開したのは同年11月、山梨県上九一色村にあったオウム真理教教団施設周辺でサリンの副生成物が検出されてからです。この物質は自然界に存在しません。人が作ったとしか思えないのです。調べていくうちに「サリン」という当時聞き慣れないこの言葉を松本の事件以前に教祖の麻原彰晃代表(当時)が何度か使っていたなど関与が疑われる傍証が次々にみつかりました。 そして1995年3月20日、東京都内で死者13人、負傷者数千人という未曾有の惨事「地下鉄サリン事件」が起きます。2日後に同年2月に起こっていた仮谷清志さん監禁容疑で警視庁が上九一色村の教団施設などを一斉捜索。約1か月後に逮捕した教団幹部の1人がサリン散布の事実を認めて麻原代表やその実行犯などを取り調べたところ、認めました。松本サリン事件は別の幹部が関与を認めました。 動機を教団松本支部の売買、賃貸の無効裁判が敗訴しそうなのを食い止めるため裁判官官舎を狙ったとしています。幹部らが麻原代表の指示でサリンを噴霧できるよう改造したトラックからサリンをまいたとされ殺人と殺人未遂の罪で6人が起訴されました。
松本サリン事件の教訓は?
さて逮捕や起訴こそされなかったもののマスコミに犯人扱いされた河野さんへの対応はどうでしょうか。犯人視した長野県警刑事部長も1995年6月、「捜査を進め」る「過程で心労を与えた」と発言。松本署長は自宅を訪れて「事件はオウム真理教によるもので、河野さんは無関係と判断した」とし、やはり「心労を与えた」と遺憾の意を表しました。「心労」ですか? マスコミはというと朝日新聞が4月、「河野さんに本社陳謝『農薬調合ミス』報道で 松本有毒ガス事件」とのタイトルで主に発生後の6月29日から7月1日の記事を「報道内容で事実に反する部分があった」として陳謝しています。読売新聞も5月、社内調査の結果として「特に〈1〉六月二十九日付朝刊(一部三十日付朝刊)『通報の会社員宅捜索 除草剤調合ミスか』〈2〉七月十五日付夕刊(一部十六日付朝刊)『薬剤使用ほのめかす 事件直後に会社員』の二件」について「河野さんにかかわる事実関係であるとの印象を読者に与えた」と河野さんに伝え「ご迷惑をかけた」と謝罪しました。 警察やマスコミの反省が弱いように思えるのは、警察としては捜査の一環で誤認逮捕までしていないという自負?があるのでしょうか。マスコミは匿名に徹したのと断定はしていないとの思いがあるかもしれません。しかし7人が殺される凶悪犯罪の犯人に見立てられたら堪ったものではありません。 捜査の初動段階で警察が「心証はクロ」と取材者に教えるケースは減っているようです。それでもなくなっていないし、では逮捕されたらGOでいいのかという疑問も残ります。いったん取材が過熱するとマスコミの本質ともいえる特ダネ合戦に走り、後で間違っていたとわかってみたらどうでもいいような目撃情報や証言をデカデカと報じる記事転がしの伝統も消えてはいません。 といって特ダネ合戦が権力者の都合の悪い情報を白日の下にさらす原動力でもあるから悩ましい。河野さんのケースは本来ならば身柄が押さえられていなかったのだから彼自身に取材して確認すればよかったのを入院していてできず、結果的に警察発表に踊ってしまった面もあるでしょう。河野さんの精神が強靭で、かつ客観的に起きた出来事を判別できる聡明さがあったから救われました。自殺などに至ったら(一般人ならば十分あり得る)取り返しがつかないところでした。 なお、この事件は非政府組織が大量破壊兵器を使用したという意味で特筆すべきテロであったともいえましょう。 ※ 河野さんは被害者で事件とは無関係です。したがって本来匿名とすべきでしょうが、河野さん自身がこの問題を現在まで実名で訴えているので、本稿も実名とさせていただきました
--------------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】