高校1年で襲った卵巣がん…闘病から復活し陸上七種競技女王に!熱田心選手(岡山陸協)の“熱い心”
岡山放送
陸上の七種競技で2024年日本一に輝いた倉敷市の「クイーン・オブ・アスリート」を紹介します。家族の絆をもとに試練に立ち向かってきました。 熱い心で陸上競技に励むのが、岡山陸協所属で倉敷市に住む熱田心選手(23)。陸上7種目の合計点で争う七種競技に取り組んでいます。 熱田選手は、2024年6月の日本選手権・混成競技の七種競技で、日本歴代5位の記録を収め初優勝。「クイーン・オブ・アスリート」の座を勝ち取りました。 (岡山陸協 熱田心選手) 「日本一になれたっていうのが、本当に最後まで七種目全部出し切って一生懸命頑張れた結果かなと思っているので、うれしかった、もうその一言ですね」 日本一になった後に岡山市北区で開かれた国民スポーツ大会の最終選考会。地元・岡山で24年に入り初めて臨む大会です。七種競技の中でも得意とする走り幅跳びに出場しました。 2024年シーズン、初めて6メートル超えを記録して優勝。改めて強さを示しました。 (岡山陸協 熱田心選手) 「あの時はすごくうれしかったですけど、次に向かって頑張らないといけないので走り幅跳びをメインにしながらも、七種競技のために練習を積んで、もっと底上げできるようにしていきたいなと思っています」 そんな熱田選手の実家は・・ (看板)「ぶっかけうどんあつた屋」 倉敷市黒崎の地域で愛されるうどん店。三女の熱田選手は、うどん店を手伝いながら、将来、店を継ぐための修業をしています。 特別に作ってもらったのは、天ぷらぶっかけうどん。エビなど5種類の天ぷらを乗せた店の人気メニューの1つです。 (岡山陸協 熱田心選手) 「今は陸上を一生懸命頑張っているんですけど、陸上競技もいつかはやめる時が必ず来るので、一生懸命働くことで恩返しにもなると思うので、おいしいうどんを作れるように頑張りたいなと思っています」 昼の営業を手伝い終えた後、車で練習場に向かいます。これが熱田選手のスタイル。道中では、七種競技を始めたきっかけを語ってくれました。 (岡山陸協 熱田心選手) 「中3で四種競技を始めて、そこから高校入ったら七種競技に変わる、という流れで七種競技にたどり着いたっていう感じ。いろいろなものができるっていうのが私の強みだったので、七種競技をやるのはきついですけど、それでしか戦えないから、いつの間にか七種競技の・・・楽しさ・魅力を感じながらやり始めていきましたね」 七種競技を始めた矢先の高校1年の頃、熱田選手を病魔が襲います。 (岡山陸協 熱田心選手) 「部活が休みの日で、急にお腹痛くなって歩けなくなって。歩けなくなったから病院行って、そのまま入院することになって手術も急に決まっちゃって。手術した後に私はがんだったことを知ったので」 卵巣がんを発症し、片方の卵巣を摘出。約3カ月にわたる抗がん剤治療を余儀なくされました。当時のことを、父・幹夫さんはこう振り返ります。 (熱田選手の父 熱田幹夫さん) 「親としての心境は、もし万が一何かあった時には僕はどうやって死のうかなと思ったくらい、つらかった。(心さんは)たまたま上手に回復してくれたので、ここからどんな幸せな人生を歩めるのか、バックアップを一生懸命しようと思っていました」 (岡山陸協 熱田心選手) 「何で私なのだろうっていうのが一番でした。やっぱり陸上好きだったので、本当に少しでも早く復帰して走りたかった。でも、病気ほど苦しいものは、もう無いと思っていたので、3カ月間のおかげで本当に心身ともに成長できていたと思います」 病を乗り越えて迎えた2019年5月、高校3年のインターハイ予選。熱田選手は七種競技の舞台で完全復活を遂げ、岡山県高校記録を更新。インターハイでは全国3位の成績を収めました。 実業団に所属しない熱田選手。自宅から道具を運び、自分でセッティングしてから練習を始めます。幼い頃から負けず嫌い。全国トップレベルの陸上選手の中でも珍しい環境ですが、負けるわけにはいかないと、黙々と練習に励みます。 (岡山陸協 熱田心選手) 「目に見えないけど、どこかで頑張っている相手がいる。毎日“きのうの自分に勝つ”ではないですけど、少しずつ進んでいけるように、本当に“考えることをやめない”と思いながら自分に向き合える。苦しい時こそ頑張れる強さは誰にも負けないとは思っています」 24年、悲願の全国女王の座をつかんだ熱田心選手。これからも見ている人の心を熱くするに違いありません。 (岡山陸協 熱田心選手) 「日本記録の更新だったり、日本人初の6000点っていうのを出せるように、まずはもう一段階上げるためには全体的に底上げしないといけないので、後半シーズンは取り組みながら6000点目指して日の丸を背負えるような選手になりたいと思っています」
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