構造的に都市封鎖が難しい日本 「空間」ではなく「時間」を止めるという考え方
「東京がどこまでも続いている」
では「ロックダウン」すなわち都市封鎖すればいいのか、実はこれが物理的に難しい。 日本の都市空間、特に首都圏や関西圏は、封鎖しにくい構造だからだ。 僕の知り合いの外国人建築家が東海道新幹線に乗ったときに「東京がどこまでも続いている」と言ったことがある。つまり東京から名古屋まで、建築物が少なくなることはあっても視界から消えることはなく、市街地がつながっているということである。まさに東海道メガロポリス(巨帯都市)という言葉がある意味で実現しているのだ。 大陸では、ヨーロッパでもイスラム圏でも中国でも、都市は城壁によって囲まれ、城門で出入りを管理され、境目がはっきりしていた。主として安全のためで、都市とは「堅固な囲いによって安全を保障された居住域」の意味であった。 近代化とともに、都市人口が膨れ上がり、また国家の力が強くなって都市の外部の安全も確保されるようになったことで、城壁は取り壊されて周辺の都市化が進んだのであるが、やはり都市とその周囲とを隔てる意識は残っていて、構造的にも、街道を管理すれば都市そのものを管理できるようになっている。つまり都市をその外部から遮断して、内部を安全に保つということが、意識的にも、構造的にも、やりやすいのだ。武漢の場合は逆に、外部の安全のために遮断したのだが、同じことである。 一方、東京は、もともと城壁というものがない。江戸時代から現代に至るまで、際限なく拡大して周囲の街や村と連続している。街道を止めても、細かい市街地道路がつながっているので、首都圏の都市封鎖は構造的に困難なのだ。関西圏も同様である。つまりロックダウンするとしても、日本の場合は、都市を外部と遮断するのではなく、外出を禁止することに力点が置かれるのが現実ではないだろうか。
国民を守る意識が欠如
日本で「城壁」といえば、戦国時代に築かれたものをイメージする人が多いと思うが、それは堀に囲まれた土塁をカバーする石組みで、その内側には大名とその家族とごく親しい家臣のみが住み、民が住む都市そのものを守るという意識はほとんどなかった。 それが現在の都市構造にも、国民を守るという意識の欠如にもつながっていて、リーダーたちはイザというときの判断ができない。巨大津波による福島第一原子力発電所の事故のときの、政府と東京電力の右往左往ぶりにもそれがよく表れていたと思う。 さかのぼれば太平洋戦争のときも、敵を討って戦争に勝つという意識ばかりが先に立って、国民を守るという戦略も戦術もなく、木造住宅が密集する大都市を焼夷弾で焼かれればひとたまりもなかった。敗戦の決断も結局は「御聖断」に頼るほかなかったのだ。 戦後は国防をアメリカに頼るかたちであったから、やはり政治家に国を守り民を守るという意識が育たなかった。安倍政権はその点でこれまでとは違う、国を守る意識の高い政権であると僕は思っていたが、新型コロナウイルスへの対策が後手後手にまわっているところを見ると、今のところそうは言い切れない状況だ。 もう一つの問題は、日本の法体系が、災害対策などには自治体が主体となるかたちになっていることである。これはGHQの方針として、強力な中央集権を地方分権に切り替えて民主化するという狙いがあったからだろう。しかし各藩に分かれて運営されていた江戸時代ならともかく、明治以後は中央集権が浸透していて、現在も県や市が「自治」という言葉が意味するように独立的に運営されているとはいいがたい。 特に首都圏、関西圏の住民は、その県、その市に所属しているという意識がほとんどないのではないだろうか。しかしその一方で、多くの日本人は日本国民であるという意識を強くもっている。こういった危機に臨んでも、自治体より国家の要請の方が強く心に響くのではないか。現政権が感染拡大防止に関する基本的な対策を自治体に委ねるような方針をとるのは法律的に妥当であるにしても、少なくとも緊急事態宣言を出して強い意志を伝える必要があるのではないだろうか。