むやみに「頑張って!」と言ってはいけない?【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第25回
里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール! 日本を代表するレジェンドプレイヤーの2人が、野球からの学びをライフハックに翻訳、「生き抜く知恵」を惜しげもなく大公開。連載の第25回では、「頑張れ!」という声援に関する考え方に迫ります! 【写真】里崎智也×五十嵐亮太 対談フォトギャラリー ■他人に「頑張って!」と声援を送るのは失礼なのか? ――前回は「努力」について伺いました。里崎さんは「そもそも、『努力』という言葉すら必要ない」と言い、「『頑張って』と言われることが死ぬほど嫌い」と話していました。今回はそのあたりから聞かせてください。 五十嵐 僕も「頑張れ」とか「頑張って」という言葉はあまり好きじゃないけど、サトさんほど強くは思っていないですけどね。その根底にあるのは「もうすでに頑張っているよ」という思いですか? 里崎 僕が言いたいのは、「あなたから見て、僕が頑張っていないように見えるんですか?」っていうこと。例えば、箱根駅伝で考えてみてよ。悠々とトップを走っている走者と、ギリギリで繰り上げスタートになるかもしれない走者がいたときに、どちらの声援が多いと思う? 五十嵐 それはやっぱり、余裕のあるトップランナーよりは、繰り上げスタートに間に合うのかどうかギリギリで走っているランナーへの声援が大きくなりますよね。 里崎 でしょ? つい、「頑張れ!」と声援を送りたくなるのはギリギリのところで必死に走っているランナーのほうだよね。もちろん、目の前で必死になっている選手の姿を見れば、たとえトップランナーであろうとも、「頑張れ!」と応援したくなる気持ちもわかるけど、ギリギリの走者ほどの熱量はないでしょ? 五十嵐 確かにそうですね。1位のランナーよりもビリのランナーのほうに肩入れしがちですよね。高校野球でも、あまりにも強すぎる名門チームよりは、ようやく県大会を勝ち上がってきた公立チームに声援が集まることも多いですし。いわゆる"判官びいき"的な。 里崎 前回の「努力」のときも言ったけど、結局は「頑張ったかどうか」というのも結果次第。成果が出たのなら「頑張った」と言えるし、結果が伴っていないのならば、それは「頑張っていない」ということ。だから、第三者から「頑張って」と言われるのは、勝手に「結果が出ていない」という判断を下されているように感じるわけ。だから、腹が立つ。