「お風呂に毎日入る人」は皆無だったのに…130年前の日本人に"入浴の新常識"を広めた「母親の教科書」の中身
■「清潔であること」は日本人の国民性だとされていた 『家庭教育学』の内容を確認してみよう。 この本は家庭教育の意義や目的から住居、飲食、妊娠、出産、子守、疾病、看病の方法、知育など、多岐にわたる内容を扱うものだ。第12章に「入浴」があり、小児の入浴についての内容から始まって、次のような記述がある(*18)。 ---------- 我が国人は、一般に潔癖と云はるる位で、度々入浴するのは実によい風習であります。西洋人などは、一ヶ月に一回とか、三ヶ月に一回とかしか、入浴しないものが多いのであります。我が国ではしばしば入浴するの風習がありますから、従ってその子供も度々入浴さしますのはよいことであります。 ---------- ここでも、日本人は一般に潔癖だといわれており、それを示す習慣として入浴が挙げられている。こうした習慣があるから日本人の子どもも入浴しておりよいことだと、つまりよい習慣が受け継がれていることを示唆している。 田中は「国民道徳」の形成に関わっていたと考えられる。先にごく簡単に述べておくと、国民道徳とは日本人が持っている国民性を基盤に成り立つ規範的思想のことで、多くの論者が日本人の国民性の特徴のひとつに「潔白性」があるとした。その「潔白性」という日本人の特徴のうち、身体的潔白さの具体例として、入浴を好むことが挙げられている。 (注) (*18)田中義能『家庭教育学』同文館、1912年、168―169頁 ■女子教育と「清潔さ」が深く結びついていった 国民道徳の形成に関わっていた田中が、家政の領域で入浴について言及していたというのは、入浴に示される身体的潔白さが、国民道徳論と家政の領域をつないでいたことを示している。子ども一般に対する教育だけでなく、女子教育のなかでも入浴と結びついた清潔規範が唱えられ、強化されていったのではないだろうか。 とりわけ明治30年前後、日清戦争後の高揚した雰囲気もあいまって、教育関係者だけでなく、政策担当者からも女子教育、とくに「良妻賢母」の必要を説く声が挙がるようになった(*19)。同時に女子の小学校就学率が上昇し、それに伴う教員養成や、中等教育の進学希望者が増加している(*20)。 日清戦争の後に、なぜこのような状況になったのだろうか。日清戦争の日本の勝因のひとつとして、日本と清との教育の普及の差が注目された(*21)。日本は女子教育を発展させたことで、「知識による内助や国民的自覚をもたらし、国家の富強に結びついた」という指摘もある。当時は教育者たちを中心に、社会における道徳に女子が大きな影響を及ぼすと論じられていた。 こうした論点はこの時期に新しく登場したもので、「良妻の意味が変化しつつあることを示すもの」と位置づける研究者もいる(*22)。そして1899(明治32)年に「高等女学校令」が公布され、女子中等教育が成立した。 (注) (*19)小山静子『良妻賢母という規範』、41頁 (*20)小山静子『良妻賢母という規範』、42頁 (*21)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁 (*22)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁