「お風呂に毎日入る人」は皆無だったのに…130年前の日本人に"入浴の新常識"を広めた「母親の教科書」の中身
■「家政学」とはどんな学問なのか その領域には衛生、栄養(調理)、被服(裁縫(さいほう))、保育(育児)、経済など、家庭の経営(ホーム・エコノミクス)に関するものが多岐にわたって含まれている(*3)。たとえば細菌による感染症をはじめとする病気への対策として、家政学と公衆衛生の実践がお互いに呼応するように、家庭レベル、そして個人レベルでの清潔さが教化されていった(*4)。 一方、日本の家政学はというと、その学問的な成立は第二次世界大戦後に、大学に家政学部や家政学科が設立されたことが始まりとみなされることが多い。ただし、「家政」という言葉自体はそれ以前から存在していた。明治初期には海外の家政書の翻訳がなされ、また欧米を視察した者によって「家政」という表現がタイトルに入った出版物も刊行されている。 では、ここからは家政書が刊行される過程で、日本人の習慣としての入浴がどのように家庭に託されるようになったのかをみていきたい。まず、「入浴」をめぐる記述は、いつ頃、どのように現れたのだろうか。 (注) (*3)今井光映・紀嘉子編著『アメリカ家政学史 ホーム・エコノミックスとヒーブの原点 リチャーズとレイク・プラシッド会議』光生館、1990年、78頁 (*4)N・トムズ著、倉元綾子・山口厚子訳「細菌学説の広がり 衛生科学と家政学、1880年~1930年」、S・ステイジ、V・B・ヴィンセンティ編著『家政学再考 アメリカ合衆国における女性と専門職の歴史』、57―78頁 ■「家庭」と言いつつも、出産と育児に重点が置かれている 入浴に関する記述が家政書に現れるのは明治中期頃である。1888(明治21)年に刊行された、山本与一郎(*5)『家庭衛生論』を紹介しよう(*6)。 同書は全五編から構成されている。各編のタイトルは「妊娠中養生の事」「分娩(ぶんべん)の事」「小児一歳より三歳迄(まで)の事」「小児四歳より十五歳迄の事」「小児期に関する雑項」。これをみるとわかるように、主眼は「妊娠」「出産」「育児」に置かれており、家庭と銘打ちながら内容は育児に特化している。子どもを授かる=母になることに重点が置かれたものだといえるかもしれない。とりわけ注目したいのが緒言である(句読点は筆者による)(*7)。 ---------- 一人衛生を守れば、一家の衛生となり一家の衛生は施て一国の衛生となるべし。夫(そ)れ母たるものは主夫(をつと)及び小児(こども)の衣食を始めとし、家内万般(いろいろ)のことに注意(きをつけ)する役目なれば必ず衛生は心得ざるべからず。之(これ)を心得て後善良なる母と云ふを得べし。世の母たるものをして完全なる衛生法を覚らしめれば社会(よのなか)を益すること盖(けだ)し大なるべし ---------- この「緒言」によれば、一人の衛生を守ることが一家の衛生につながり、その一家の衛生はやがて一国の衛生に結びつく、というのである。衛生が「一人」―「一家」―「一国」というつながりで成立するという見方は、当時の衛生観を表している。 (注) (*5)山本与一郎の詳しい経歴は不明である。瀧澤利行は『家庭衛生論』の中表紙から「医士」という記述に着目し、医業を営んでいたのではないかと指摘している。瀧澤利行『近代日本健康思想の成立』大空社、1993年、293頁 (*6)川端美季『近代日本の公衆浴場運動』法政大学出版局、2016年 (*7)山本与一郎「家庭衛生論」瀧澤利行編『近代日本養生論・衛生論集成』第15巻、大空社、1993年