『あんのこと』入江悠監督 スタッフ皆が河合優実に惚れていた【Director’s Interview Vol.409】
杏が入っていた河合優実
Q:河合優実さんは完全に杏になっていたような感じすらしました。現場では河合さんとはどのようなことを話されましたか。 入江:撮影前には共演者と一緒に芝居を作り上げていく“エチュード”をやってもらい、特に母と娘の関係性などは、カメラが無い状態から作り上げていきました。河合さんは徐々に“杏という人”をつかまえていっているような感触がありましたね。カメラテストの時に衣装を着て歩いてもらったのですが、ちょっと内股で歩幅が小さくなっていて「あ、これはもう杏だな」と。そのときに既に、河合さんの体の中には杏が入っていたのだと思います。そこからはほぼ何も言ってないです。こういうふうに喋ってほしいとか、こういう表情をしてほしいとか、そういうことも一切言いませんでした。 Q:今回はリハーサルを丁寧にやられたそうですが、普段からリハーサルは重視されるのでしょうか。 入江:普段はまったくやりません(笑)。僕はリハーサルで芝居を固めすぎたり、意見を押し付けてしまうのは嫌なので、俳優さんが当日現場に持って来たものを見せてもらうのが好きなんです。ただ今回は、母によるDVシーンなどもあるため、河井青葉さんと河合優実さんの母娘の関係性を構築するために、リハーサルというよりも二人と話し合いをするところからはじめました。ただ話しているだけでは取っ掛かりがないので、同じ部屋にいる母と娘は、どういうふうに会話が進み、どう暴力が起きるのかを、仮の台本を用意して演じてもらいました。そうすると、「あれ? 脚本を書いたときに想像していたのと違うな」となる。僕自身が男兄弟で育ったこともあり、母と娘の関係性に無知な部分があったんです。さらに演じた二人からの意見もあった。それを家に持ち帰り脚本を直し、次の日にまた持っていって演じ直してもらいました。 初めての作業だったので迷いながらでしたが、でもやって良かったです。今までの自分はそういう作業をサボっていたなと反省しました(笑)。また今回は、実話が元にあったことも大きかったかもしれません。元になった家庭や事件は実際に見ることは出来ないので、追体験してみたところもあったと思います。 Q:スタッフやキャストに何か具体的に伝えたことはありますか。 入江:環境づくりについては伝えました。最近は働き方改革のおかげで労働条件等の改善は自明のことになっていますが、その一歩先を目指して、俳優がやりやすい環境を作るため皆で一緒に工夫をしましょうと。例えば、映画の後半に幼児が出てきますが、その子のお昼寝の時間はちゃんと確保してあげて、元気なときに撮影をするとか、河合さんも精神的に追い込まれるシーンが続くので、重いシーンは1日一つにしましょうとか。今回はさまざまな種類の暴力や悲しみがあるので、俳優がなるべく健全に仕事ができるように、スタッフにお願いしました。そうやって環境を整えると、俳優もスタッフも自然と充実していくものだと分かりました。 同世代の濱口竜介監督や三宅唱監督のインタビューを読むと、僕なんかより環境づくりを徹底されていて、勉強させてもらったところはあります。例えば、撮影のロケーションを一つ選ぶにしても、俳優さんが歩きながらも役になっていけるような場所を探したりするのですが、今回でいうと杏が住んでいた団地はかなり綿密に選びました。実際にカメラを回す前に河合さんにも歩いてもらい、「彼女はどうやって家に帰って来ているのだろうか?」と探ってみる。そういうことをやっていくうちに、衣装も髪型もだんだんフィットして杏になっていく。そういう積み重ねの大事さにも今回初めて気づかされました。
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