『あんのこと』入江悠監督 スタッフ皆が河合優実に惚れていた【Director’s Interview Vol.409】
コロナ禍の日本で一人の少女が命を絶った。この実際に起こった事件をモチーフに映画化されたのが、本作『あんのこと』だ。河合優実を主演に迎え、入江悠監督が手掛けたこの作品は、私たちが経験したコロナ禍を淡々と反芻していく。映画を観ていると、自分たちが経験したこと、自分たちの知らなかったこと、それら全てがあっという間に風化しかかっている事実に驚かされる。そして悪気なく無為に過ごしてきた日々を自問することとなる。 映画の主人公・杏としてそこに存在した河合優実を、ドキュメンタリーと見紛う手法で捉えたこの作品、入江監督はいかなる思いで作り上げたのか。話を伺った。 『あんのこと』あらすじ 21歳の主人公・杏(河合優実)は、幼い頃から母親(河井青葉)に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅(佐藤二朗)という変わった刑事と出会う。大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。
忘れてはいけないもの
Q:プロデューサーから「映画にしてみませんか」と新聞記事をもらったことがきっかけだそうですが、実際にあったことを映画にする作業はいかがでしたか。 入江:杏の元になった女の子の記事と、多々羅という刑事の元になった記事の二つを読んだのですが、それが繋がっていることに衝撃を受けました。それで脚本を書き始めたのですが、そもそも実話を脚本化する作業をこれまでしてきてなかったことに気づいて…。脚本を書き出す前は全く無自覚だったのですが、途中から「実話の映画化の責任はこれまでと違う」と慄きましたね。 Q:記事を読んだだけで終わってしまう人が多い中、そこから一歩踏み込んでアクションしたのは、何か思いがあったのでしょうか。 入江:自分にとって、コロナの時期が想像以上に苦しかったというのがまずあります。自分はそういうものに対して耐性のある人間だと思い込んでいたのですが、意外とそうでもなかった。当時は何かしなきゃと思って『シュシュシュの娘』の制作につながっていったのですが、コロナ禍のことを忘れてはいけないという気持ちがありました。コロナの時期を映画としてちゃんと描いておきたいなと。 Q:この映画を観ると、コロナのことをほとんど忘れてしまっていることに驚きます。 入江:そうなんです。撮影の際も、エキストラさんにマスクをしてもらうかどうかを助監督と話していたのですが、「あれ? この時期はマスクしてたっけ?」と、自分たちがいつマスクをし始めたのか、意外と忘れてしまっていることに気づきました。撮影時からするとたった2年半前くらいのことなのですが、「こんなにも忘れてしまうものなのか」と。それだけ日々いろんなことが起きていたからだとは思いますが、忘れてしまっていること自体にかなりショックを受けました。学校が一斉休校になったタイミングなども「あれは何月のことだっけ?」と意外と忘れていますが、でも一方で、自分たちが追い込まれていった記憶は残っている。そういうものをちゃんと繋げておきたかったんです。 Q:コロナ禍でのブルーインパルスの飛行シーンには胸を衝かれました。 入江:自分たちがブルーインパルスを見ていた一方で、こういう事件が起こって、こんな女の子がいた。地続きのところにいたにも関わらず、そういった事件に対して全く想像力を働かせてなかった自分に「一体何をやっていたんだ」とショックを受けましたね。 Q:あのシーンを見て、まさに私も「自分は一体何をやっていたんだ?」と思いました。 入江:そう感じていただけたことは、とても嬉しいです。ブルーインパルスが飛んだあの日は晴天で清々しくて、それが余計に複雑な気持ちになるんですね…。
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