「東日本大震災直後に倒産しておけば…」でも「社員や家族を守りたい。何もしない選択肢はなかった」 復興支援金による会社再建を目指した「イカ王子」の挫折と葛藤
岩手県宮古市の「イカ王子」こと鈴木良太さん(43)はちょっと名の知れた存在だ。金色の王冠を頭に載せ、イカがプリントされたシャツを着て地元の水産業をPRする姿は、東日本大震災からの復興を目指す宮古の名物キャラとしてマスコミやSNSで話題を呼んだ。この効果で、家業の「共和水産」が製造した「王子のぜいたく至福のタラフライ」などはヒット商品になった。 【写真】背中に強い衝撃を感じ、記憶が… 気が付くと体は泥に埋まっていた 東日本大震災、児童74人犠牲の小学校で生還 「奇跡の少年」呼ばれるのが嫌だった、重圧と葛藤の12年
だが、震災で打撃を受けた会社を立て直そうと国の補助金で事業を拡張した結果、借入金の返済に苦しんで2023年10月に倒産。翌24年8月に他社へ事業譲渡して商品生産は続けているが、立場は「専務」から譲渡先の「契約社員」になった。復興支援金に活路を求めた選択は正しかったのか。頭の片隅に葛藤を抱いて日々を歩んでいる。(共同通信=酒井由人) ▽「自分を変えたい」きっかけは東日本大震災 「ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」 2023年12月、鈴木さんは自身のユーチューブチャンネルでカメラに向かい、沈痛な面持ちで謝罪した。この2カ月前に共和水産は民事再生法の適用を申請し、倒産していた。 1981年、宮古市で4人兄弟の三男として生まれた。父親が共和水産を創業したのは1985年。約50人の社員を抱え、イカを短冊状に細く切ったイカそうめんの冷凍商品を中心に小売り向けに卸していた。 鈴木さん自身は会社を継ぐ考えはなかった。高校卒業後は仙台市の大学に進学したが中退。「女の子にもてたかった」との理由で東北一の歓楽街である仙台・国分町のダイニングバーで働いた。接客がとにかく好きで、やりがいを強く感じていた。 ところが兄弟3人が就職し、会社を継げるのが自分だけになった。夜の繁華街に後ろ髪を引かれたが、両親に懇願されてUターンを決意した。
宮古市では、国分町の華々しさと対照的に地味な生活が待っていた。早朝の買い付け、長靴をはいて立ち仕事―。「自分の誕生日にシャンパン何本も入れてもらった人間がイカの会社やるんすよ。ダサい」。地元への愛着を持てず、やりがいも見いだせずにいた。 そんな日々が続いた中で東日本大震災が起き、宮古市にも大きな津波が押し寄せた。市内の犠牲者は517人。鈴木さんや自社工場は被害を免れたが、商品を保存していた冷凍倉庫が流され、約1億3千万円分の在庫はそのまま借金になった。 発生翌日に市内を歩くと、育った街は一変していた。魚市場にはブルーシートに包まれた遺体や、泣きわめく子どもの姿。その光景を見て心臓をつかまれたような感覚に襲われた。これまで街を見下してきた自分に嫌悪感を覚えて「まずは自分を変えたいと思った」と振り返る。 ▽中央省庁も注目する会社に 折しもこの年、代表取締役専務に就いた。経営を立て直そうと必死になり、被災した中小企業向けの支援策「グループ補助金」を利用して約6千万円で冷凍倉庫を新設。さらに事業費の8分の7を補助する水産業の支援制度を利用し、総工費6億円超の加工工場を建てた。「ほぼタダじゃん」と思わず声が漏れるほどの支援金は魅力的で、飛びつかずにはいられなかった。