江戸時代に活躍、謎に満ちた相場師の極意「三猿」とは? 牛田権三郎(上)
相場師、牛田権三郎の活躍は文献も少なく、インターネットで検索をしても、その人物像に迫る内容を見つけることは容易ではありません。まずは、牛田の残した『三猿金泉録』をもとに、どのような相場師だったのかを市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
本間宗久の『三昧伝』とならぶ相場道バイブル『三猿金泉録』
慈雲斉こと牛田権三郎は江戸のコメ相場師である。山形県酒田生まれの本間宗久より6年先輩と思われる。2人は顔を合わせているはずだが、その証拠はない。宗久は伝記もあり、ぼんやりと人物像が浮かび上がってくるが、牛田はまるで輪郭がつかめない。謎の相場師である。その牛田が1755(宝暦5)年秋、著したのが『三猿金泉録』。今も本間宗久の『三昧伝』(別名は『秘録』)とともに相場道のバイブルとして読み継がれている。 1925(大正14)年に出た『三猿金泉録講義』(東京毎夕新聞社編)の「はしがき」にこう記されている。 「宝暦5年晩秋9月、牛田氏の筆に成りし空前の詩篇なり。商いの方法、進退、駆け引きの秘伝をはじめ、古米の多少、相場の大勢、人気の観察、天災の駆け引き、高下の割合、サヤ開き、サヤ変わり、売買の仕掛け、一般の方略、相場の定式大綱を三十一文字の歌句中に説きたるもの、百三十七首に及び、古今東西にわたりて比べものない一大宝典なり」 和歌に託して相場の奥義を説いたものが中心で、これまでに多くの人が解説書を著している。ここでは毎夕新聞と昭和35年に出た岩本巌氏の解説を参考にしながらみていこう。『三猿金泉録』の中で最も人々に親しまれているのがこの2首。 「万人が万人ながら強気なら たわけになりて米を売るべし」 「野も山も皆一面に弱気なら 阿呆になりて米を買うべし」 説明不要のこの2首は牛田翁の最高傑作とされている。相場金言の一丁目一番地に位置する「人の行く裏に道あり花の山」と同工異曲の名歌である。古来相場は人の裏をかくのが好きとみえる。 また上記の2首と相通じる次の2首も説明不要であろう。 「千人が千人ながら強気なら 下がるべき理を含む米なり」 「万人が万人ながら弱気なら 上がるべき理を含む米なり」